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	<title>＠動画 &#187; 無神論</title>
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	<description>ペット・動物を中心に、無料で楽しめる癒し系の動画を紹介しています。</description>
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		<title>戦闘的無神論／リチャード・ドーキンス</title>
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		<pubDate>Thu, 19 Feb 2015 17:03:57 +0000</pubDate>
		<dc:creator>管理人</dc:creator>
				<category><![CDATA[国際・紛争]]></category>
		<category><![CDATA[TED]]></category>
		<category><![CDATA[アメリカ]]></category>
		<category><![CDATA[ダーウィン]]></category>
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		<description><![CDATA[<p><img width="160" height="120" src="http://www.at-douga.com//wp-content/uploads/s_richard_dawkins_on_militant_atheism.png" class="attachment-post-thumbnail wp-post-image" alt="戦闘的無神論／リチャード・ドーキンス" title="戦闘的無神論／リチャード・ドーキンス" /></p>生物学者のリチャード・ドーキンス氏が、宗教に対してバカバカしい敬意を払うのは、もう止めにしようと訴えています。
（所要時間：約30分）

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動画の内容 （全文書き起こし）

冒頭でかかったあ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img width="160" height="120" src="http://www.at-douga.com//wp-content/uploads/s_richard_dawkins_on_militant_atheism.png" class="attachment-post-thumbnail wp-post-image" alt="戦闘的無神論／リチャード・ドーキンス" title="戦闘的無神論／リチャード・ドーキンス" /></p><p>生物学者のリチャード・ドーキンス氏が、宗教に対してバカバカしい敬意を払うのは、もう止めにしようと訴えています。</p>
<p>（所要時間：約30分）</p>
<p><span id="more-13168"></span></p>
<p><a rel="shadowbox" title="リチャード・ドーキンス: 戦闘的無神論 " href="https://embed-ssl.ted.com/talks/lang/ja/richard_dawkins_on_militant_atheism.html">この動画を大きい画面で見る</a></p>
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<blockquote>
<p><strong>動画の内容</strong> （全文書き起こし）<br />
<img src="http://www.at-douga.com//wp-content/uploads/richard_dawkins_on_militant_atheism_550.png" alt="リチャード・ドーキンス" title="リチャード・ドーキンス" width="550" height="309" class="alignnone size-full wp-image-13170" /></p>
<p>冒頭でかかったあの素晴らしい音楽は 「アイーダ」の「凱旋行進曲」 私の葬式で使おうと決めている曲です (笑) おわかりでしょう とても意気揚々とした曲です その時 私はもう何も感じることはできないでしょうが もしできたとしたら この生涯を全うできたという喜びに浸っていることでしょう この素晴らしい惑星に生を受け そして そもそもなぜここに生まれることができたのか 幾ばくかは理解する機会を得られたことについて この命が消え去る前に</p>
<p>皆さんは 私の古風な発音が聞き取れますか？ 皆さんと同じく 私は昨日のロバート・フルや フランス・ランティング その他の人々が動物のセッションで見せてくれたものの 美しさにすっかり魅了されました ただ一つ 少し気になったのは ジェフリー・カッツェンバーグが野生馬について 「神が地上に遣わした最も素晴らしい生き物」と 述べたことです 彼が言葉通りの意味で言ったわけでないことは もちろん皆さんご存じの通りですが この国では今のところ どれだけ用心深くしても しすぎるということはありません (笑)</p>
<p>私は生物学者ですが 私たちのテーマにおいて 中心的な定理となるもの それはデザインの理論 すなわちダーウィンの自然選択による進化論です 専門家の間ではどこでも もちろん普遍的に受け入れられています アメリカ以外では 非専門家の間では 進化論はほとんど無視されています しかしアメリカにおいては非専門家の間で 進化論は非常に多くの対立を引き起こします (笑) アメリカの生物学者は 戦争状態下にあると言うのが適当でしょう この戦争は現在とても厄介な状態にあり 各地で裁判ざたが次々に起こっているので 私はそれについて何か言わなくてはと思ったのです</p>
<p>もし私がダーウィニズムそのものについて 述べるべきことが知りたいならば 私の本を見ていただく必要がありそうです 外の書店には置いてなさそうですが (笑) 昨今の裁判事件で しばしば主張されるのは新手の創造論の一種で 「インテリジェント・デザイン」 またはIDと呼ばれます だまされてはいけません IDには何一つ新しい要素はありません 創造論に新たな名前を付けたに過ぎないもので あえて表現するなら 「洗礼名を付けなおした」というところでしょう (笑) 戦術的 政治的目的のために</p>
<p>いわゆるID論者の論拠は 何度も何度も論破されてきた古いものと同じものなのです ダーウィンの時代から今日に至るまで 科学の代表としてこの争いに応じている 有能な進化論ロビーも存在しており 私は手を尽くして何でも手助けしようとしているのですが 私のような人間がこんな大胆な意見を述べると 彼らはひどく狼狽するのです ―我々は進化論者であるだけでなく 無神論者でもある― 余計な波風を立てる人間だと見られるのです 理由はおわかりでしょう 創造論者という人たちは 一貫した科学的根拠に基づいた議論ができないので 無神論に対するありがちな恐怖心を根拠とするのです 生物学の授業で子供たちに進化論を教えようものなら 即座にドラッグや重窃盗罪や 性的倒錯に走ってしまうだろうというわけです (笑)</p>
<p>実際のところローマ教皇を筆頭とする 教育のある神学者は 進化論をしっかり支持しています 「ダーウィンの神を見出す」という ケネス・ミラーの書いたこの本は 私の知る限りインテリジェント・デザインに対する 最も有効な攻撃の一つなのですが それがいっそう有効だと言えるのは 敬虔なクリスチャンによって書かれているからです ケネス・ミラーのような人は進化論ロビーからすれば 「天の恵み」と呼ぶにふさわしい― (笑) なぜなら彼らは進化論が 実質的に無神論と同等だという指摘が ウソだと示すからです 一方私のような人間は あえて波風を立てようとします </p>
<p>しかしここで私は創造論者の良い点について述べたいと思います 滅多にしないことなので良く聞いておいてください (笑) 私が思うに 彼らの言い分はある一点については全く正しいのです 彼らが言うように <strong>進化論とは 根本的に宗教とは対立するもの</strong>なのです</p>
<p>既に述べたように 進化論者のうちの多くはローマ教皇のように 同時に宗教者でもあります しかし彼らは自分を騙しているのだと私は思います ダーウィニズムを真に理解するということは 宗教に対する信仰を深く蝕むものだと 私は信じています こう言うと 私が無神論の説教を始めようとしているかと 思われそうですが ご安心ください 私が始めようとしているのはそんなことではありません このような教養のある聴衆を前にして それは釈迦に説法というものでしょう</p>
<p>私が皆さんに説教したいのはそんなことではなく (笑) 私が皆さんに訴えかけたいのは <strong>戦闘的無神論</strong>なのです</p>
<p> (笑) (拍手) </p>
<p>あまりにも否定的な表現ですが もし宗教的信仰を保護しようという気が私にあったなら 進化論科学の持つ肯定的な力を 大変憂慮したことでしょう 科学一般について言えることですが とりわけ進化論については まさにそれが無神論的であるがゆえに 人を刺激し夢中にさせるのです</p>
<p>現在 生物のデザインに関するあらゆる理論にとって 難問となっているのは 統計的に見て とてもあり得なさそうに見える生物現象を どう説明するかという点です 優れたデザインへと向かうことの統計的に見た確率の低さ 「複雑性」とも呼べます 標準的な創造論者の根拠は すべてはこの一点に還元されるのですが この統計的な確率の低さから生じているのです </p>
<p>偶然に発生するには 生物は複雑すぎる したがって誰かがそれをデザインしたはずだと もちろん この論法は 自分で自分の足を撃つようなものです これだけ複雑なものをデザインできるデザイナーは それ自身もっと複雑なものに違いありません そして議論は振り出しに戻ってしまいます さらに デザイナーにはまだまだ仕事が待っています 罪を許し 結婚を祝福し 祈りを聞き届け 戦時には我が方に味方し (笑) 私たちの性生活は認めない などなど (笑)</p>
<p>複雑性こそは あらゆる生物学理論が 解かなければならない問題ですが 更に複雑な存在を仮定したところで それを解くことはできない ただいたずらにいっそう問題を複雑にするだけです ダーウィンの自然選択説が 実に驚くほどエレガントなのは 複雑性を説明するという問題に対して 単純さのみをもって解決しているからです 本質的には それは漸進的に一歩一歩高さを増す 滑らかな傾斜を与えることによって解決しています しかしここで私が主張したいのは ダーウィニズムのエレガントさは それがまさにエレガントであり 無駄がなく 生物過程の経済の法則に照らして 強力であるがゆえに 宗教を蝕むものだという点なのです それは美しい吊り橋の力強い簡潔さを備えています</p>
<p>神の理論はただ悪い理論というわけではありません 結局 原理的に 求められる課題に応えられないのです</p>
<p>さて進化論ロビーの戦術論に立ち返ってみると <strong>あえて波風を立てることこそが 正しい行動かも知れないと私は主張したいのです</strong> 進化論ロビーと私とでは 創造論者を攻撃する方法が異なります <strong>私のやり方は宗教そのものを攻撃しようというものです</strong> ここに及んで私は宗教を悪く言うことが 重大なタブーであることを認める必要があります それを敢えて行います まず 親友のダグラス・アダムスの晩年の言葉を借ります もしTEDに出演していないようなら ぜひ招待するべきだったと思います</p>
<p> （リチャード・ソール・ワーマン: 出演しています）</p>
<p>それはよかった そうに違いないと思いました 彼はケンブリッジで録音されたこのスピーチを こんな風に始めました 亡くなる少し前のことです </p>
<p>科学というものは仮説の検証をすることによって進歩し 常に反証可能性を失わない枠組みであると </p>
<p>さらにこう続けます </p>
<p>引用します 「宗教はそのようには働きません 宗教は核心となる部分に 『神聖』とか『聖なる』とか呼ばれる考えを持っています それはこういう意味です ここにあるこの考えは いかなる悪口も言うことが許されない考えであると それは許されない なぜ許されないか？ 許されないから許されないのだ (笑) どうしてそんなことが言えるんでしょう 共和党と民主党のどちらを支持しようと 経済モデルのあれこれを論じようと ウィンドウズの代わりにマッキントッシュを使おうと 意見を持つことは完璧に正当なはずなのに こと宇宙の始まりについて 誰が宇宙を作ったのかについて意見を持つのは それは神聖なものだから許されない というのです だから 私たちは宗教的な考えに 挑戦しないことに馴れきっている リチャードがそれをする時 どれだけの狂乱を引き起こすか 興味深いですね」 </p>
<p>このリチャードというのは彼でなく私のことですが</p>
<p>「誰もがそれに取り乱してしまうのは それを言うのが許されていないからです しかし理性的に考えてみれば それが他の事がら同様 広く議論されてはならない理由など何もないのです すでに何らかの方法で議論すべきではないと 合意済みでないかぎりは」 これでダグラスの引用は終わりです</p>
<p>私に言わせれば <strong>科学が宗教を蝕むのと同様に 宗教もまた科学を蝕むのです</strong> 宗教は人々に 陳腐で超自然的なことを 説明抜きで信じることを教えます そして 私たちがようやく手にした 素晴らしい本物の説明を覆い隠してしまうのです 宗教はかれらに対して 常に実証にこだわり続ける代わりに ただ権威と天啓と信仰を受け入れることを教えるのです</p>
<p>この壮麗な写真は ダグラス・アダムスの著書 『最後の光景』に載っています さて「Quarterly Review of Biology」という 典型的な科学雑誌があります 私は客員編集者として 「恐竜は隕石によって滅びたのか」 という特集号をまとめようとしています 最初の論文は 様々な物証を示す標準的な科学論文です 「KT境界に見られるイリジウム層や カリウム・アルゴン年代法で測定された ユカタン半島のクレーターが 恐竜は隕石によって滅びたことを示しています」 ごくまともな科学論文です </p>
<p>さて次の論文を見てみましょう 「英国王立協会の理事長が 賜られた強い内なる確信によれば」(笑) 「恐竜は隕石のために滅びたのです」 (笑) 「ハックステーン教授に 非公式に明かされたことによれば 恐竜は隕石のために滅びたのです」 (笑) 「ホードリー教授は疑いようもない 次のような完全な信念を持つに至りました」 (笑) 「恐竜は隕石のために滅びたのです」 「ホーキンス教授が公表した すべての忠実なホーキンス信者を束縛する 公式な教義によれば 恐竜は隕石のために滅びたのです」 (笑) もちろんこんな論文が載ることは 実際にはあり得ません</p>
<p>しかし仮に (拍手) 1987年に ある記者がジョージ・ブッシュ(父)に アメリカ人の無神論者に対して 等しい市民権と愛国心を 認めるかどうか尋ねました ブッシュ氏の悪名高い回答は 「いや 無神論者を市民と考えるべきかは分からないね 愛国者であるとも考えるべきかどうかも分からない 神の下の一つの国だからね」</p>
<p>ブッシュの偏見は単なる誤りなどではなく ついうっかり口を滑らせ あとになって撤回したわけでもありませんでした 彼は度重なる釈明と撤回の要求に直面しても 意見を曲げませんでした 彼は心から本気でそう言ったのです さらに重大なことに彼は選挙に悪影響を与えるどころか 真逆に作用することを知っていたのです 共和党だけでなく民主党までもが 彼らの信仰心をアピールします もし選挙で当選したいなら どちらの政党も「神の下の一つの国」と唱えます これを知ったら トーマス・ジェファーソンは何と言ったでしょうか? </p>
<p><a rel="shadowbox" title="" href="http://www.at-douga.com//wp-content/uploads/pound_sterling_vs_United_States_Dollar_big.png"><img src="http://www.at-douga.com//wp-content/uploads/pound_sterling_vs_United_States_Dollar.png" alt="イギリスとアメリカの紙幣の比較 （イギリスの紙幣にはチャールズ・ダーウィンの肖像／アメリカの紙幣にはIN GOD WE TRUST の文字）" title="イギリスとアメリカの紙幣の比較 （イギリスの紙幣にはチャールズ・ダーウィンの肖像／アメリカの紙幣にはIN GOD WE TRUST の文字）" width="550" height="309" class="alignnone size-full wp-image-13171" /></a><br />
（※画像クリックで拡大します）</p>
<p>ちなみに 私は日常英国民であることを特段誇りに思っていませんが この件については比較せずにはいられません (拍手)</p>
<p>実際のところ無神論者とは何なのでしょうか? 無神論者とは 単にヤハウェ神に対して クリスチャンが(北欧神話の)トールやバールや 金の子牛に対して感じるのと同様に感じる人のことです 前にも述べたように 私たちはみな これまで人類の信仰を集めてきた多くの神々に対して 無神論者です 幾ばくかの人は さらにもう一つの神に対しても 無神論であるというだけなのです (笑) (拍手)</p>
<p>私たちが無神論をどのように定義したとしても 人に許される学問的な信条であり 非愛国者で 選挙の敗北を約束された 非国民などではないはずです それにもかかわらず無神論者になるということは まるでヒトラーか ビエルゼバブであるかのように受け取られてしまうのは 否定できない事実です これらはすべて無神論者とは奇妙で風変わりな マイノリティであるという認知に由来しています</p>
<p>ナタリー・アンジェは「the New Yorker」のある記事で 無神論者として 味わった孤独を綴っています 彼女は孤立したマイノリティであると はっきり感じていました しかし実際のところアメリカの無神論者は どれぐらいの数に達するのでしょうか？ </p>
<p>最新の調査では驚くほど心強い結果が出ています もちろん キリスト教は 圧倒的に大きな割合を占めており およそ1億6千万人に達します しかし2番目に大きなグループは何だと思いますか？ ユダヤ教徒の280万人 イスラム教徒の110万人 ヒンズー教徒や仏教徒など その他の宗教をすべて合わせた数を越える このグループは？ 2番目に大きなグループは およそ3000万人にも達し 無宗教あるいは世俗主義と呼ばれる人々です</p>
<p>疑問に感じざるを得ないのは より多くの票を得たい政治家がなぜ 周知のように ユダヤ人ロビーなどの力に 威圧されているのでしょう イスラエルの状況は まさにアメリカのユダヤ人の投票に よって存立しているように見えますが その一方で 無宗教派の方は政治的に忘れ去られてしまっている <strong>世俗主義的・無宗教派の票が もし適切に動員できるのであれば ユダヤ人の投票数の9倍にも達する</strong>のです なぜこの実体のあるマイノリティが その政治的な力を行使するために 運動を起こさないのでしょうか？</p>
<p>さて数の話はこれぐらいにして 質についてはどうでしょうか 知性と宗教を持つことの間に 正の あるいは負の相関関係はあるのでしょうか？ (笑)</p>
<p>私が引用する調査はARISの調査で これは教育や社会経済的な階級 教育 IQなどを分けては分析されていませんでした しかしMensa magazineの ポール・Ｇ・ベルによる最近の記事は ある風向きを示すものだと言えます Mensaはご存じのように 非常に高いIQを持つ人々のための 国際的な組織です そして文献のメタ分析から ベルは以下のように結論づけています </p>
<p>引用しますと「1927年以来実施された 宗教的な信仰とその人の知性ないし教育レベルとの 間に見られる関係についての43の研究では 4つだけを除けば逆相関を示し <strong>その人の知能あるいは教育レベルが高くなるほど その人の信仰を持っている割合は少なくなる</strong>」 私はその42の研究を読んでおらず そのメタ分析にはコメントできないのですが この延長で より多くの研究がなされることを期待します<br />
もう少し宣伝させていただくなら 今日の聴衆の中には この疑問に決着をつけるための 膨大な調査研究の費用を負担できるだけの 資金力がある人がきっといると思います 私からお勧めしておきましょう それは価値ある調査だと</p>
<p>では いくつかのデータを示させてください これは適切に分析され公開されたもので 特別な集団 すなわち一流の科学者たちが対象になっています 1998年にラーソンとウィザムが 米国科学アカデミーに選ばれるという栄えある アメリカの最も優秀な科学者に対して 調査を行ったところ この選ばれたグループの中では 人格神を信じる割合はわずか7%にとどまりました およそ20%は不可知論者で 残りの人たちは無神論者と呼んで差し支えなさそうです 不死を信じる人と同じような数字でした 生物学者の間に限ればこの数字はさらに小さくなり 神を信じているのは5.5%だけでした 物理学者では7.5%でした 歴史や哲学などの 他の分野における一流の学者については 対応する数字を見たことがありませんが もしその値が大きく違っていれば私は驚くでしょう</p>
<p>というわけで 私たちの状況は 実に注目すべきものです それはアメリカの知識人とアメリカの有権者の間に見られる グロテスクな不一致です アメリカの科学者の大多数が信じている 宇宙の本質に関する哲学的な見解 そして恐らく知識人の大多数も同様に信じているこの見解が アメリカの有権者からは忌み嫌われていて 普通選挙で人前でこれを肯定しようと挑戦する候補者が 一人もいないのです もし私が正しいなら この世界随一の大国における 重要な地位が そこに就くべき最もふさわしい人々 知識人 に対して閉ざされていることを意味しています<br />
かれらがその信条を偽る覚悟ができていない限りは 単刀直入に言うならばアメリカの政治的機会は 知的でかつ誠実である人々にとって 大変に不利な重荷を負わされた状態にあるということです (拍手)</p>
<p>私はこの国の国民ではありませんので 何かやるべき事があると私が提案した時に それが不作法であると受け取られないことを望みます (笑) すでにそれが何であるか ほのめかしてきたつもりですが これまでTEDを見てきて 私はここが発表の理想の場所なのではないかと思います 繰り返しますが これにはお金がかかることでしょう </p>
<p>私たちに必要なのはアメリカの無神論者の カミングアウト運動を起こし意識高揚を図ることなのです (笑) これは数年前に同性愛者によって組織された運動と 似ていると言えるかも知れません ただし人々の意志に反して 勝手にその信条を公開するような 愚行を冒すべきではありませんが ほとんどの場合カミングアウトする人々は 無神論者はどこかおかしい という俗説を破壊してくれるでしょうし</p>
<p>それどころか 無神論者が次のような人々であること たとえば 子供達のお手本になるような人たちであったり 広告代理店が 製品のコマーシャルに起用できるような人々であったり この会場に座っているような人々であることを 示すことができるでしょう これは雪だるまのような効果 正のフィードバックを生みだすはずです 仲間が増えれば増えるほど さらに多くを獲得できるでしょう これにはまた非線形な閾値効果が現れるかもしれません クリティカルマスに達した時 一気に仲間の増加が加速するのです 繰り返しになりますが これは資金を必要とします</p>
<p>私は「無神論者」という言葉自体が 言葉の実際の意味からかけ離れて いつまでも障壁として残ることを懸念しています その言葉でさえなければ よろこんでカミングアウトする人たちの 参加を妨げる障壁となるという意味です では他のどんな言葉であればもっと道筋を円滑にし 車輪に油を差し 錠剤を糖衣で包んでくれるのでしょう? ダーウィン自身は「不可知論」という言葉を好みました 彼の友であり その言葉を生み出した ハクスリーへの忠誠心からだけではありません</p>
<p>彼はこう言いました 「私は 神の存在を否定するという意味で 無神論者であったことは一度もありません 『不可知論』という言葉がおおむね 私の心情を説明するのにもっとも相応しいと考えます」</p>
<p>彼は柄にもなくエドワード・エイヴリングに対しても 神経をピリピリさせました エイヴリングは<strong>戦闘的無神論者</strong>でした 無神論に関する本をダーウィンに捧げようとしましたが これを受け入れさせようとして説得に失敗しています ちなみに ここから カール・マルクスが「資本論」を ダーウィンに捧げようとしたという 人気のある俗説が生まれました 実際そうしようとしたのは マルクスではなくエドワード・エイヴリングでした </p>
<p>真相はどうかと言えば 当時エイヴリングの愛人はマルクスの娘であり ダーウィンとマルクスの死後 マルクスの論文はエイヴリングの論文と ごちゃ混ぜにされてしまい 「拝啓 大変感謝いたしますが あなたの本を 私に捧げて欲しいとは思いません」 というダーウィンの手紙が マルクスに宛てられたものだと勘違いされてしまい これが皆さんがご存じであろう この俗説の引き金となったのです マルクスが「資本論」をダーウィンに捧げようとしたというのは 都市伝説のたぐいなのです</p>
<p>とにかくそれはエイヴリングでした 彼らが会った時 ダーウィンはエイヴリングに異議を申し立てました 「なぜあなたは自分を無神論者と呼ぶのか」と 「『不可知論』というのは」エイヴリングは反駁し 「単に『無神論』を上品に言い換えただけのものでしょう そして『無神論』は 単に『不可知論』を攻撃的に言い換えたものだ」 「しかしなぜそんなに攻撃的になる必要があるのだ」 ダーウィンは訴えました </p>
<p>ダーウィンは知識層が無神論を唱えるのは仕方がないと 考えていましたが 一般の人々はそうではなく 引用すると「機が熟していない」と考えていたのです もちろんこれはおなじみの「波風を立てない」議論です エイヴリングがダーウィンに お高くとまるのをやめるよう 言ったかどうかは記録されていません (笑)</p>
<p>いずれにせよ それは100年以上前の出来事です その時からは成長していてしかるべきだと思われるでしょう さて ある知的な 信仰を捨てたユダヤ人の友人についてなのですが 彼は文化的な結束を守りたいという理由で たまたまに安息日を祝っており 自身のことを「歯の妖精不可知論者」だと言っています 自分のことを無神論者だとは言わないのです なぜなら それが存在しないことを証明するのは 原理的に不可能なのですが 不可知論という言葉は神が存在する可能性を 神が存在しない可能性と同程度に仮定していると 解釈されてしまうおそれがある</p>
<p>そこで彼は歯の妖精に関する不可知論者であると はっきり述べているのです すると とてもありえそうにないことだと感じるでしょう？ 神同様に だから「歯の妖精不可知論」という言葉なのです バートランド・ラッセルは同様の意見を 火星軌道上を回るティーポットの仮説を用いて述べています ティーポットが火星軌道上にあるかどうか 厳密に考えれば不可知論者にならざるを得ません しかし だからと言ってそれが存在する確からしさが 存在しない確からしさと ぴったり一致しているとみなすことを 意味するわけではありません</p>
<p>私たちが厳密にいえば不可知論者にならざるを得ないのは 歯の妖精やティーポットだけにはとどまらない そんなものは無限に列挙できます もしあなたがその中の特定の一つを信じたいならば ユニコーンでも歯の妖精でもティーポットでも ヤハウェでもかまいませんが その存在を立証する責任はあなたにあります それを信じない理由を その他の人が述べなければならない責任はないのです 我々無神論者は 無-妖精論者でもあり 無-ティーポット論者でもあります (笑)</p>
<p>しかし私たちは いちいちそれを列挙したりはしない これが私の友人が「歯の妖精不可知論」という言葉を いわゆる無神論者と呼ばれる人を指す ラベルとして使う理由なのです とはいえ 心の奥底では無神論者である人に 公の場でカミングアウトさせたいなら 私たちの旗印にはもっと何か良い言葉が必要でしょう 「歯の妖精」や「ティーポット不可知論」と書くよりも</p>
<p>「ヒューマニスト」というのはどうでしょうか？ これはよく組織化された 世界規模ネットワークがすでに存在し 雑誌その他もすでに整備されているという利点があります 私としては 見せかけの人間中心主義が その唯一の問題だと思います 私たちがダーウィンから学んだことの一つは 人類とは 何百万もの あるものは近く あるものは遠い 親類にあたる種の中の一つでしかないということです</p>
<p>他にも「自然主義者」などの候補がありますが 混乱を招きやすいのが問題です ダーウィンならば自然主義者についてこう考えたでしょう 「自然主義者」とはもちろん「超自然主義者」の対義語である しかし時として ダーウィンは別の意味での「自然主義者」と 混同されていたかも知れません おそらくそれを「ヌーディズム」と混同する人たちが いたのではないかと思われます (笑) そのような人々は昨年英国で小児科医(pediatrician)を 小児性愛者(pedophile)と間違って リンチを加えた群衆に属していたかも知れませんね (笑)</p>
<p><strong>「無神論者」の代わりとして一番良いのは 単純に「非-有神論者」ではないかと思います</strong> この言葉には 絶対に神は存在しないのだという 強い含意はなく ティーポットや歯の妖精不可知論の人が 受け入れられるものです これは完全に物理学者の神とも両立することができます </p>
<p>スティーヴン・ホーキングや アルベルト・アインシュタインのような無神論者が 「神」という言葉を使う時 彼らはもちろん隠喩的に 便利な略語として使っているのであって 我々がまだ理解していない物理学の深淵で 神秘的な領域を指しています 「非-有神論」は「無神論」と違って ヒステリックな恐怖を引き起こすこともなく すべてうまく働くでしょう しかし実を言えば もう一つの選択肢は あえて「無神論」という言葉を使い そのイラクサをしっかりつかむことではないかとも思うのです まさにそれが禁忌の言葉であり ヒステリックな恐怖の戦慄をもたらすがゆえに 「無神論」という言葉を選んでしまうと 「非-有神論」や その他の対立的でない言葉を選んだ場合と比べて クリティカルマスに到達するのが より困難になってしまうでしょう しかし もし「無神論者」という おどろおどろしい言葉でそれを成し遂げられるなら 政治的な反響はもっと大きなものになるでしょう</p>
<p>さて もし自分が宗教者であったなら 進化論を非常に恐れたことだろうと言いました さらに一歩進めましょう もし適切に理解できたなら 私は科学一般をも恐れたことでしょう なぜなら科学の世界観は 刺激的で詩的で 何よりも純然たる驚きに満ちている 宗教的想像力はこれに比べて全く貧弱です </p>
<p>近年亡くなったもう一人のヒーロー カール・セーガンはこう言いました 「主要な宗教のいずれかが科学を見て 『これは我々が考えたものよりずっとすばらしい！ 宇宙は我々の預言者が言ったよりも はるかに大きく壮大で繊細で優雅ではないか？』 と結論づけることがまずないのは どういうわけなのでしょうか 代わりに彼らは言うのです 『だめだ だめだ！私の神は小さな神だが ずっとそのままでいて欲しいのだ』と 新旧を問わず 現代科学によって明らかになった宇宙の壮大さを強調する宗教は 旧来の信仰では開拓し得なかった畏怖と尊敬の蓄えを 引き出すことができるのではないかと思うのですが」</p>
<p>さて ここにいる聴衆の皆さんはエリートですから その中で信仰を持っているのは10%ぐらいだろうと思われます <strong>皆さんの多くは おそらく礼儀正しい文化的信条 宗教を 尊重すべきだ という考えに同意していることでしょう しかし私はそのうちのかなりの人が 心の底では宗教を私と同じぐらい蔑んでいるのではないかと 疑っています</strong> (笑) もしあなたがその一人であるなら むろん多くの方々は違うかも知れませんが しかし もしあなたがその一人であるなら 礼儀正しくあるのをやめ 自分の考えをはっきり公表するよう私はお願いしたい また あなたがひょっとして裕福でしたら 世の中を変えられるかも知れない可能性について 考えてみていただきたい </p>
<p>この国の宗教ロビーは 税制上優遇されているのは言うまでもありませんが テンプルトン財団やディスカバリー協会のような財団から 莫大な資金提供を受けています 前に進むためには反テンプルトンが必要なのです もし私の本が リチャード・ドーキンスの本程度ではなく スティーヴン・ホーキングの本ぐらい売れたなら 自分自身でそうするのですが</p>
<p>「9.11はあなたをどう変えたか?」 という問いがいまだによく話題にされます よろしい 私の場合はこのように変わったのです </p>
<p>ばかばかしい敬意を払うのは皆さん もうやめにしましょう</p>
<p>ありがとうございます (拍手) </p>
<p>引用元：<a href="https://www.ted.com/talks/richard_dawkins_on_militant_atheism/transcript?language=ja" target="blank" class="broken_link" rel="nofollow">TED</a></p>
</blockquote>
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		<title>全ての宗教を子供たちに教育することが、信仰の自由に出来る最大限の我慢だ／哲学者 ダン・デネット</title>
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		<pubDate>Wed, 30 Jul 2014 20:35:52 +0000</pubDate>
		<dc:creator>管理人</dc:creator>
				<category><![CDATA[仕事・生活]]></category>
		<category><![CDATA[TED]]></category>
		<category><![CDATA[宗教]]></category>
		<category><![CDATA[教育問題]]></category>
		<category><![CDATA[無神論]]></category>

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		<description><![CDATA[<p><img width="160" height="120" src="http://www.at-douga.com//wp-content/uploads/s_dan_dennett_s_response_to_rick_warren.png" class="attachment-post-thumbnail wp-post-image" alt="全ての宗教を子供たちに教育することが、信仰の自由に出来る最大限の我慢だ／哲学者 ダン・デネット" title="全ての宗教を子供たちに教育することが、信仰の自由に出来る最大限の我慢だ／哲学者 ダン・デネット" /></p>哲学者のダン・デネット氏が、「民主主義は告知の上の同意にかかっている」という大原則のもと、全ての宗教を学校で教育するべきだと主張しています。
（所要時間：約25分）

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動画の内容

またこ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img width="160" height="120" src="http://www.at-douga.com//wp-content/uploads/s_dan_dennett_s_response_to_rick_warren.png" class="attachment-post-thumbnail wp-post-image" alt="全ての宗教を子供たちに教育することが、信仰の自由に出来る最大限の我慢だ／哲学者 ダン・デネット" title="全ての宗教を子供たちに教育することが、信仰の自由に出来る最大限の我慢だ／哲学者 ダン・デネット" /></p><p>哲学者のダン・デネット氏が、「民主主義は告知の上の同意にかかっている」という大原則のもと、全ての宗教を学校で教育するべきだと主張しています。</p>
<p>（所要時間：約25分）</p>
<p><span id="more-11703"></span></p>
<p><a rel="shadowbox" title="ダン・デネット: 宗教を教えよう--全ての宗教を学校で" href="http://embed.ted.com/talks/lang/ja/dan_dennett_s_response_to_rick_warren.html">この動画を大きい画面で見る</a></p>
<p><iframe src="http://embed.ted.com/talks/lang/ja/dan_dennett_s_response_to_rick_warren.html" width="640" height="390" frameborder="0" scrolling="no" webkitAllowFullScreen mozallowfullscreen allowFullScreen></iframe></p>
<blockquote>
<p><strong>動画の内容</strong><br />
<img src="http://www.at-douga.com//wp-content/uploads/dan_dennett_s_response_to_rick_warren_550.png" alt="哲学者 ダン・デネット" title="哲学者 ダン・デネット" width="550" height="412" class="alignnone size-full wp-image-11704" /></p>
<p>またここに来れて光栄です この素晴らしい集まりが大好きです 「何じゃこりゃ？」と思ってますね 「スライドを間違えてるんじゃないか？」 いやいや この素晴しい動物を見て考えてください 誰がデザイン（設計）したのでしょう？ </p>
<p>ここはTEDです テクノロジー エンターテイメント デザイン そこに乳牛がいます 巧みに設計された動物です どのようにしてここから話すか 悩んでいましたが ジョイス・キルマーの古い詩を引用することにします </p>
<p>「詩はぼくみたいなトンマなやつでも作れるが 木を作るなんてそれは神様にしかできない」 </p>
<p>「では神が牛を創った」と 皆さんは言うかもしれません もちろん　神はいろんな助けを得ました これは牛の先祖です これはオリックス 自然選択によって設計されました 数百万年以上に及ぶ 自然選択のプロセスを経て 何千年か前に家畜化されました 人間が彼らの管理を行うようになりました そして 自分たちの知らないうちに 家畜を徐々に再設計し続けていました </p>
<p>最近では この家畜に対しての リバースエンジニアリングを始めました それぞれの部位がどういうもので どういう役割をするのか どうやったら最適化 改良できるか さて なぜ牛の話をしているのでしょう？ これとほぼ同じことが 宗教にもあてはまるからです </p>
<p>宗教は自然現象です 牛と同じぐらい自然です 千年以上の間 進化してきました オリックスと同じように生物学的基盤があり 飼い馴らされ 何千年もの間 人は 宗教を再設計してきました ここはTEDなので デザインについて話しましょう </p>
<p>皆さんに初めてお目にかかってからの 過去4年間 私がしてきたことは TEDで私が宗教について 話しているのを見た人もいるでしょう 4年間 この議題について考え続けてきました 宗教のリバースエンジニアリング だと言えるかもしれません この考え方は 多くの人々に恐怖心を与えます もしくは怒り 不安といった感情です この呪縛を解きたいと思っています </p>
<p>私は 宗教は重要な自然現象だと言いたい 私たちは その他全ての 自然現象を研究するのと同じくらい熱心に宗教を研究すべきです 昨晩 アル・ゴアが雄弁に語った 地球温暖化のように 今日の宗教は素晴しく デザインされています それらは非常に強力な社会的機関で 現在持っている特徴は 以前の特徴から来ており すなわち リバースエンジニアリングにより 真に理解することが出来ます<br />
牛と同じように それらは進化による設計が 混在しています 自然選択による設計と インテリジェント・デザイン 多かれ少なかれ インテリジェント・デザイン そして宗教を改革しようと試みる人による再設計 </p>
<p>TEDでは著書については話しませんが 一つだけ 私の著書に関する スライドを用意しました なぜなら 皆さんにぜひ 聞いていただきたい メッセージがあるからです そして これに対する 皆さんの意見をうかがえると大変嬉しい </p>
<p>これは 私が本の中で提案した 一つの方針で その時の私は 他の方針を提案するには 宗教について&#8211; 理解が深くなかったと主張しています そして それは今日すでに聞いた 見解の繰り返しになります これが私の提案です </p>
<p>数分かけて説明させて頂くと 世界の宗教に関する教育を 小学校 高校 公立 私立 自宅学習に関わらず 全ての子供達に施します 私が提案しているのは 読み書き算数 アメリカの歴史が 必須科目であるように 世界の全て宗教に関する事実を教える 科目が必要だということです </p>
<p>それらの歴史 信条 文書 音楽 象徴 禁令 要望 そして それらは事実に基づき 捻じ曲げることなく直接的に 国中の全ての子供たちに 提示されるべきです 子供たちにそれを教えさえすれば あとは何でも好きなことを 教えてもいいです これが信仰の自由に出来る 最大限の我慢だと 私は思います </p>
<p>子供たちに他の宗教について 教えさえすれば いくつからでも どんなことでも あなたの教えたい信条が なんであれ教えてもいいです でも 他の宗教についても 教えてください </p>
<p>なぜこんなことを言うかといいますと 民主主義は見識ある市民たちに 依存しているためです 告知の上の同意は 我々の民主主義を 理解する上での根幹となります 誤った情報における同意は無駄です コインで決めたのと同じ 勘定に入りません <strong>民主主義は告知の上の同意にかかっているのです</strong> 人々を責任ある大人として 扱うにはこうあるべきです </p>
<p>なお 承諾年齢未満の子供達は 特別なケースです 先ほどの リック牧師の言葉を借りると 両親は子供の管理者です 所有者ではありません 子供を所有することはできません 皆さんは世界や 州に 彼らを 正しく育てる責任を負っています 彼らに あなたが最も大切だと思う どのような信条を教えてもよいですが あなたには 世界にある他の信条についても 知らせておく責任があると 私はいいたいのです </p>
<p>私がこのことに時間を割いたのは これに対する 反応が楽しみだからです ローマ カトリック新聞の評論家は 「全体主義的」と言いました 私は 実質的には 自由主義的だと思っています 読み書き 算数を必須とすることは 全体主義でしょうか？違うと思います 私が言っているのは事実 事実だけです </p>
<p>価値をはさまず 世界中の宗教の 事実のみを教えるのです 別の評論家は「滑稽だ」と言いました このことを滑稽だと感じる人が いることには悩まされます 私としては もっともな 今ある民主主義の 原則を自然に拡張したものであるのに 馬鹿げていると思う 人がいることは驚きです </p>
<p>私は 多くの宗教がその信仰の純粋さを 次世代まで維持することに固執するあまりに 子供たちを他の信仰に関して 無知のままにしていることを 知っています それが擁護できると思いませんが 後で皆さんの意見を伺えると嬉しいです </p>
<p>では話を進めましょう乳牛に戻ります このWEBから取って来た写真 左の男性がこの写真の 重要な部分です これが管理者です 乳牛は人間の世話なしには 生きられません 家畜化しているからです 彼らは外部共生者のようなものです 彼らの生存は人に左右されます 先ほどリック牧師は 羊について話しましたね 私も羊について話します </p>
<p>多くの偶発的収束がここにあります 羊飼いを手に入れた羊は なんて賢いんでしょう！ 彼らが得たものを考えてみましょう 全ての問題を外注委託できます 外敵からの保護 食量の確保 健康管理 多くの群れが失った代償は 自由な交配のみ なんという取引でしょう 「羊はなんて賢いんだ！」 と思うかもしれません </p>
<p>もちろん そういうことではないです 羊がすごい科学者ではないことは 皆が承知です 彼らはあまり頭がよくありません 羊の賢さは関係ありません 彼らは闇雲でした しかし 同時に巧妙な一手だったのです 誰の一手だったのでしょう？ 自然選択自体の妙手です </p>
<p>フランシス・クリック　ジム・ワトソンと 共にDNAの構造を発見した彼は オーゲルの2番目の法則と称した冗談を言ったことがありました レスリー・オーゲルは分子生物学者で才能のある人です オーゲルの2番目の法則は 「進化は誰よりも賢い」 </p>
<p>これはインテリジェント・デザインではありません フランシス・クリックは賛成しませんが 「進化は誰よりも賢い」 オーゲルの2番目の法則を理解する人は インテリジェント・デザインを巡る動きが でっちあげだと理解するでしょう </p>
<p>自然選択のプロセスが発見したデザインは素晴しいです 信じられないほど素晴しい 生物学者は発見されたものの 素晴しさに何度も驚愕します しかし プロセスそのものに目的はなく 先見性もデザインもありません </p>
<p>4年前にこの場所で 蟻が草先端に上っていく話をしました なぜ蟻はそのようなことをしたのか？ その蟻の脳みそは 槍型吸虫に感染しており 槍型吸虫は子孫を残すため 羊か乳牛のお腹に入る必要があるからです 恐い話でしたよね 勘違いされた方もいるようですが 槍型吸虫は賢くはありません 槍型吸虫の知能は低く 私に言わせれば このあたり 朝顔とニンジンの間位です 彼らは賢くなく その必要もありません </p>
<p>このことから学べるのは 利益を受ける為に知性は必要ではない デザインは自然に存在しますが 誰かの頭にあるわけではない その必要もない 進化とはそういうものです </p>
<p>質問 家畜化は羊にとって良かったのか？ 遺伝的適応性には素晴しいものでした ここで ポール・マックレディが 3年前にTEDで指摘した 素晴しい事実を思い出して頂きたい 彼はこう言いました 1万年前 農業の夜明けには 人口に家畜やペットを足しても おおよそ 地上の脊椎動物の 1パーセントの10分の1にしかならなかった それはたった1万年前のことです 生物学の観点からは昨日です </p>
<p>今日はどうでしょう？ 誰か彼の講演を覚えてますか？ 98パーセントです これが私たちが地球に対してしたことです 後でポールと話をしました 彼の計算方法や情報源を 聞きたかったのです そしたら このことを書いた論文をくれました そこに彼が話してなかった一節があり すごく良いので ここで読み上げたいと思います </p>
<p>「何十億年以上にもわたって偶然は この独特な 球面上を 生命の薄いカバーで塗りました： それは複雑で 奇跡的で 素晴らしくて もろい そして突然 我々人類 最近地上に現れた 自然が持つ抑制と均衡に しばられない種族の 人口 技術と知性が成長し 暴力的な権力を手に入れました 現在 我々が筆を握っています」 </p>
<p>我々は 大気とは薄いニスの層であると聞きました 生命自体は この惑星の薄い ペンキ塗装にすぎません そして我々は筆を握っています なぜこの様なことが出来たのでしょう？ 私たちが惑星を支配した 鍵は文化であり そして文化の鍵は宗教です </p>
<p>火星の科学者が 地球に来たとしましょう 彼らは多くのことに戸惑うと思います これが何か解りますか？ お教えしましょう 2001年 ガンジスの川辺で 100万人が参加した集会です これまでで最も大規模な 人間の集会でしょう 衛星写真から分かるように 大群衆です </p>
<p>これはメッカでの群衆 火星人はこれにも驚くでしょう これらがどう始り 何が目的で どのように 自身を永続しているか知りたがるでしょう 私はこれには言及しません 先ほどの蟻は特別ではありません 別の生物にも色々な 面白いケースがあります 例えば 寄生虫がマウスの中に入り そして猫のお腹に入りたがっている そこで マウスをマイティマウスに変え 恐れをなくします よってマウスは外に走り出て 猫に食べられます 本当の話です </p>
<p>すなわち ハイジャック犯がいるのです 4年前にこのスライドを見ましたね 脳を侵食する寄生虫 それは 寄生主の 遺伝的適応以外の目的のため 自殺的行動を誘発します これは私たちにも 起こっているのでしょうか？ 起こっています 大変巧妙に </p>
<p>アラビア語で「イスラム」は 「服従」を意味します 「アラーの意志により 利己心を放棄すること」を意味します イスラム教だけではなく キリスト教も同じです これは50年前 パリの本の売店で見つけた 羊皮紙の楽譜です ラテン語でこのように書かれています </p>
<p>（ラテン語） 「神の言葉は種 その種を播く人はキリストです」 </p>
<p>同じ考えでしょう！ すこし違いますかね しかし実際はキリスト教徒も 彼らが神に降伏したという事実を誇りに思っています </p>
<p>少し引用します 「崇拝の核心は降伏です 降伏した人々は神の言葉に従います たとえそれが意味をなさなくても」 これはリック・ウォレンの言葉です 「人生を導く5つの目的」 から引用しました ここから少し 私も読んだ その本について話します 皆さんもコピーを持ってますね 先ほど彼から話を聞きました </p>
<p>私はデザインの見地から この本について 少し言及しようと思います なぜなら 実際にすばらしい 本だと思うからです まず最初に ゴールについて つい先程 ゴールが何か聞きました 「多くの人の人生に目的を与えること」 彼は成功しました 良いゴールでしょうか？ それ自身は素晴しいと 皆が同意するでしょう </p>
<p>彼は全く正しい 人生に目的を持ってない人は たくさんいます それらの人々に目的を与えるのは 素晴しいゴールです これにはA+の評価をつけましょう ゴールは達成されたか？ はい 3000万部の売り上げがありました アル・ゴアが羨ましがっています （笑） アルがやろうとしていることを リックがやりました すばらしい成果です その方法について 彼はどうやって達成したのでしょう？ </p>
<p>伝統的な宗教テーマの 素晴らしい再設計です 時代遅れのものを大人しく却下し 他のものは 新しい解釈を付け 更新しました これは数千年続いて来た 宗教の進化の一つです 彼はまさに 現代の才能ある実践者です 皆さん すでにご存知ですよね 彼の話を聞いたばかりですから 人間心理への優れた洞察 全ページに書かれた賢いアドバイス さらに彼は 我々に 深い意味にまで目を向けるよう誘います 非常に感謝しています </p>
<p>例えば 選択した聖書詩句の 異なる翻訳を説明した付録を 彼はつけました 本は明白で 鮮明で 読みやすく 美しく構成されています ちょうど良いぐらいの繰り返しがあります これは大変重要です あなたがそれを読んだり言ったりするたび あなたの脳はコピーを作ります (笑) 皆さんも一緒に あなたがそれを読んだり言ったりするたび あなたの脳はコピーを作ります ありがとうございます </p>
<p>さて ここで問題提起をします なぜなら 私は全くもって誠実に この本に対する 高い評価を述べましたが もっと良くできたと思います 私は本に対して言いたいことがあり それらをないことにするのは不誠実でしょう 彼が改訂版で訂正してくれることを 期待します 彼の本の第2版でね </p>
<p>「真実は あなたを自由にします」聖書に書いてあることで 私も信じたいことではあります 私が言いたいのは 本の中のいくつかの 部分が真実だと思えないことです その内のいくつかは意見の違いでしょうが それが 主な不満ではないことは 言うだけの価値はあるでしょう </p>
<p>この一節です ほぼ彼が言ったことです 「神がいなければ 我々は全員 偶然の それも 宇宙の天文的偶然の結果 になるでしょう 人生に目的も意味も重要性もなくなるので この本を読む必要はなくなります 善悪はなく 地上での短い 年月の後は希望はありません」 </p>
<p>私はこれを信じません ところでホーマー・グレイニングの映画は この主張とは異なる 美しい選択肢を提供します そこには善悪の意味と理由があります 良いことをしたり 自分に意味を持たせるのに 神を信じる必要はありません でもこれはただの意見の相違です 私が本当に心配していることではありません </p>
<p>これはどうでしょう 「神は私たちが住めるよう この地球を設計した」 多くの人はこの言葉の意味する所を アル・ゴアが先ほど一生懸命 私たちに 行動するよう 提案したことを しなくていいと取るでしょう この言葉には全く不満です </p>
<p>それから これを見つけました 「生物学的科学における 全ての証拠は 宇宙は生命と人類ありきであることを 基本的な目的 もしくは意図として設計され 全てに意味があることが 物事の中核であると支持し説明している </p>
<p>これはマイケル・デントンです 彼は創造論者です ここで私は考えます　「ちょっと待て」 もう一度読み直します 3度も4度も読み直して考えます 「彼は本当にインテリジェント・デザインを 創造説を支持しているのか？」はっきりしません だからこう考えました 「分からない」 「これに気分を害すべきか まだ分からない」と </p>
<p>そしてこれを読みました 「まず ノアは雨を見たことがなかった 洪水の前 神は地球を地下から 灌漑していたからです」 この文章がなければよかった 私は嘘だと思うからです 何百万年以上におよぶ 地球の歴史に関する 話を聞いた後に この様な地球の歴史に 対する考え方を聞くと 人々の科学を理解しようとする意欲を削ぐと思います </p>
<p>リック・ウォレンは 科学用語 科学的な擬似事実と科学的な情報を 大変興味深い方法で使います 一つは 「神は あなたが神の特別な使命を 遂行できるよう設計しました 彼はあなたを創る為に DNAカクテルを注意深く混ぜたのです」 これは間違っていると思います これは比喩的に取る方が 望ましいでしょう </p>
<p>もう一つ「たとえば あなたの脳は100兆の事を保存でき １秒に15,000の決定を下すことができます」 そのように私が解釈出来る事実が 見つけれるか興味深い所です これを真実として受け入れる 余地はあるかもしれません </p>
<p>「人類学者は崇拝は一般的な衝動であり 神と繋がることを必要とする本能 我々の隅々にまで編みこまれている と記しました」 感覚的に同意する所はありますが 進化論による説明があると思います </p>
<p>そして この本で酷く納得できないことは 彼が もし道徳的でありたいなら 人生に意味を持たせたいなら 創造論者でなければならない という主張をしているように思えるところです つまり 自然選択による進化論を 否定しなければならない 私は反対に 世界中の問題を解決するには 進化論を真面目に受け止めることが 大変重要だと思います </p>
<p>誰の語る真実に耳を傾けむけるべきか？ これは「人生を導く5つの目的」からです 「聖書は 私の人生の権威ある 基準になるべきです 私が方向を頼るコンパス 私が賢明な決断をするために相談する顧問 そして 全てを評価するための指標」 そうかもしれませんね しかし このあとに何が続くでしょう？ そして 私が心配するのはここなのです 先ほど引用した 彼のこの文節を思い出してください </p>
<p>「降伏した人々は神の言葉に従います たとえそれが意味をなさなくても」 </p>
<p>これは問題です 「悪魔に異議を唱えるな 数千年も実践してきたため 彼はあなたより議論が得意です」 リック・ウォレンがこの賢明な一手を 考えだしたのではありません これは古い手口です これは宗教が上手に適応した結果です <strong>どんな理にかなった批判でも 和らげられるワイルドカードです</strong> </p>
<p>「私の解釈が気に入りませんか？ 理にかなった異議がありますか？ 耳を貸さないで！ それは悪魔のささやきです」 これは私たちが欲しがっている 論理的思考の上に成り立つ 市民権を阻んでいると思います </p>
<p>もう一つ問題があります これで終わりです もしリックが出来るのであれば これへの返答があることを期待します 「大宣教命令で イエスは言いました　&#8217;全ての国の全ての人々の元に行き 弟子にしなさい 父と子と 精霊の名のもとに洗礼を施し 私があなたに教えたことを 全て彼らに教えてください’」 </p>
<p>聖書には イエスがこの世界を救える たった一人の救世主だとあります 私たちはここ数日で沢山の素晴しい 世界地図を見ました 他のほど奇麗じゃないですが ここにもあります これは単純に世界の宗教を表しています そしてこれは 現在の異なる宗教の 分類を示しています </p>
<p>さて私たちは　彼らの聖なる本が次のように述べているにも関わらず　本当に他の宗教を 自分たちの宗教に取り込む ために尽力したいのでしょうか 「他方に耳を傾けるな　それは悪魔の囁きだ！」 私から見れば それは未来に向かうには かなり問題をはらんだ船だと思います </p>
<p>最近メインまで車で行ったとき 教会の前にこの表示を見つけました 「神（God）なき善（Good）はゼロ（0）である」 なかなか洒落てます とても巧妙なミームです 私はそれを信じません ただこれは一般的 この言い回しではなく考え方がです そしてこれ自体が 我々が直面している 大きな問題だと思います </p>
<p>あなたが私みたいなら 素晴らしい 信頼できる 献身的な 無神論者 不可知論者を沢山ご存知でしょう 彼らは神がいなくても善良です そして 良い行いもせず 尊厳の後ろに隠れている宗教者も 沢山知っていることでしょう だから このミームを葬ることを願います 私はこのミームが絶滅することを願います </p>
<p>ご清聴ありがとうございました （拍手） </p>
<p>引用元：<a href="http://www.ted.com/talks/dan_dennett_s_response_to_rick_warren/transcript" target="blank">TED</a></p>
</blockquote>
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		<title>無神論者が宗教から学ぶべき事とは／アラン・ド・ボトン</title>
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		<pubDate>Mon, 23 Apr 2012 12:05:28 +0000</pubDate>
		<dc:creator>管理人</dc:creator>
				<category><![CDATA[仕事・生活]]></category>
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		<category><![CDATA[アラン・ド・ボトン]]></category>
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		<description><![CDATA[<p><img width="160" height="120" src="http://www.at-douga.com//wp-content/uploads/s_alain_de_botton.png" class="attachment-post-thumbnail wp-post-image" alt="無神論者が宗教から学ぶべき事とは／アラン・ド・ボトン" title="無神論者が宗教から学ぶべき事とは／アラン・ド・ボトン" /></p>無神論者が宗教から取り入れられるものにどんなものがあるでしょう？ 哲学者であり作家のアラン・ド・ボトン氏が「無神論者のための宗教」(無神論2.0)として、個人崇拝などの宗教の悪い部分は無視しながらも、人間的な繋がりや儀式 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img width="160" height="120" src="http://www.at-douga.com//wp-content/uploads/s_alain_de_botton.png" class="attachment-post-thumbnail wp-post-image" alt="無神論者が宗教から学ぶべき事とは／アラン・ド・ボトン" title="無神論者が宗教から学ぶべき事とは／アラン・ド・ボトン" /></p><p>無神論者が宗教から取り入れられるものにどんなものがあるでしょう？ 哲学者であり作家のアラン・ド・ボトン氏が「無神論者のための宗教」(無神論2.0)として、個人崇拝などの宗教の悪い部分は無視しながらも、人間的な繋がりや儀式、超越的存在への要求を満たすための宗教的な作法や伝統など、宗教が持つ良い部分だけを取り入れることを提案しています。</p>
<p>（所要時間：約20分）</p>
<p><span id="more-5275"></span></p>
<p><a rel="shadowbox" title="アラン・ド・ボトン 「無神論2.0」" href="http://embed.ted.com/talks/lang/ja/alain_de_botton_atheism_2_0.html">この動画を大きい画面で見る</a></p>
<p><iframe src="http://embed.ted.com/talks/lang/ja/alain_de_botton_atheism_2_0.html" width="640" height="390" frameborder="0" scrolling="no" webkitAllowFullScreen mozallowfullscreen allowFullScreen></iframe></p>
<blockquote>
<p><strong>動画の内容</strong> （全文書き起こし）</p>
<p>世界を分ける最も一般的な方法の１つは 神を信じる人と 信じない人 信仰を持つ人と 無神論者という分け方でしょう この十年くらい 無神論者がどういうものかは すごくはっきりしていました とても声の大きな無神論者達がいて 宗教は 間違っているだけでなく 馬鹿げていると言っています そういった人の多くが北オックスフォードにいて 彼らに言わせると 神を信じるのは 妖精を信じるようなものであり 子どもじみた遊びに 過ぎないというのです</p>
<p>宗教全体を そのように切って捨てるのは 簡単なことです 樽の中の魚を撃つようなものです 私が今日お話ししたいのは 無神論者の新しいあり方についてです お望みなら その新しい無神論を 「無神論2.0」とでも呼びましょうか 無神論2.0とは何でしょう？ まず ごく基本的な前提ですが 神はもちろんいません 神々もいなければ 超自然的な精霊も 天使もいません 先に進みましょう これで話は終わりではなく 始まりなのです</p>
<p>私はこんな風に考える人に 興味があります 「どの宗教も信じられない 教義を信じられない ああいう教義が正しいとは思えない」 「でも･･･」これは重要な “でも” です「･･･クリスマスキャロルは好きだな マンテーニャの絵はいい 古い教会を見るのは好きだ 旧約聖書を読むのは楽しい」 それを何と呼ぶかはともかく 言っていることはお分かりでしょう 宗教の儀式的な側面 道徳的な側面 共同体的側面には惹かれるけれど 教義には我慢できない人のことです これまでそういう人達は あまり納得のいかない選択を 迫られていました 教義を受け入れて いいものをみんな手に入れるか 教義を拒否して 精神的不毛の地に住み CNNやウォルマートの導きに従うかです</p>
<p>難しい選択ですが そんな選択を する必要はないと私は思います 別な道があります その道とは 全く不信心ながら敬意を持って 宗教から盗むのです 宗教を信じていないなら 宗教の良い部分だけ選び取り ミックスしていけない理由は何もありません 私にとって無神論2.0とは 敬意と不信をもって いろいろな宗教を見て 「この中で使えるのは何かな？」と考えることです 世俗の世界は穴だらけです 世俗化をやり損なったのです 宗教をよく研究することで 人生のあまりうまくいかない— 側面について あらゆる洞察が得られます 今日はそのいくつかを簡単に見ることにしましょう</p>
<p>まずは教育です 教育は 世俗社会が 強く信じているものです 世界をどう良くしていけるかと考える時 私達は教育のことを考え そこに多くの投資をします 教育は 商業や技術のスキルを与えてくれるだけでなく より良い人間にもしてくれます 卒業式の訓示がどんなものかご存じでしょう 教育 殊に高等教育の過程は 我々を品格ある優れた人格者にするという なんとも詩的な主張です 素敵な考え方ですね それがどこから来ているのかを思うと興味深いです</p>
<p>19世紀初期に 西欧で教会に行く人の数が 急速に減り 人々はパニックを起こしました 彼らはこう自問しました みんな道徳をどこに見出すつもりなのか？ どこに導きや 慰めの源を 見つけようというのか？ 影響力ある声が１つの答えを出しました 「それは文化だ」と 文化にこそ 導きと 慰めと 道徳を求めるべきであると シェークスピアの劇を見 プラトンの対話を読み ジェーン・オースティンの小説を読もう かつてはヨハネの福音に見出していた 真実をそこに見出せるだろう これはとても素晴らしい とても正しいアイデアだと思います 彼らは聖書を文化で置き換えたいと思ったのです うまいアイデアだったと思いますが 忘れられてしまいました</p>
<p>一流の大学 たとえばハーバードか オックスフォードか ケンブリッジにでも行って 「道徳と導きと慰めを求めて来ました どう生きれば良いのか知りたいのです」 と言ったなら 彼らは精神病院へ行けと言うことでしょう そのようなことは 格式高い世界最高峰の教育機関が 対象とすることではないのです なぜか？ 必要と思っていないからです 私達に切なる助けが必要だとは考えていないのです 理性的な大人として私達を見ていて 必要なのは情報やデータであって 救いではないと考えています</p>
<p>一方 宗教は全然違ったところからスタートします 主要な宗教はすべて 折に触れ私達を「子ども達」と呼びます そして子どものように 手厚い助けが必要だと思っています 私達はかろうじて持ち堪えているだけです 私だけなのか 皆さんもか分かりませんが いずれにせよ 私達はかろうじて持ち堪えているだけで 助けを必要としています そして導きが必要であり 教訓的な学びが必要なのです</p>
<p>18世紀イギリス最大の 説教者であるション・ウェスレーは 国中をまわり歩いて説教をし 人々にどう生きるべきか諭していました 親の子に対する 子の親に対する責務について教え 富者と貧者の間の責務について教えました 宗教を広める伝統的メディアである 説教を通じて 人々に いかに生きるべきかを伝えようとしました</p>
<p>しかし説教という方法は見捨てられました 現代的でリベラルな個人主義者に 「説教なんかいかが？」と聞こうものなら 「必要ないよ 私は自立した個人だから」と言うでしょう 説教と 現代の世俗的伝達方法である 講演の違いは何でしょう？ 説教は人の人生を変えようとし 講演はちょっとした情報を与えようとします 私達は説教の伝統に立ち戻る必要があると思います 説教の伝統は非常に価値があります 私達には導きと 道徳と慰めが必要であり 宗教はそのことを理解しているのです</p>
<p>教育についてはもう１つあります 現代の世俗社会では 誰かに何かを一度教えれば足りるものとしています 20歳でプラトンについて習ったら その後経営コンサルの仕事を40年やっていても 教わったことは ずっと身についているものと考えます 宗教は「ナンセンスだ」と言うでしょう 「教えを日に10遍繰り返す必要がある 跪いて繰り返すんだ」と それがどの宗教でも言っていることです 「跪いて日に10回でも20回でも繰り返しなさい」 人の頭はザルのようなものです</p>
<p>宗教は繰り返しの文化であり 偉大な真理の周りを 繰り返し回るのです 一方 私達は繰り返しを退屈に感じます 「新しいやつがいい」といつも言っています 「新しいものは古いものよりもいい」と こう聞いたらどう思いますか？ 「TEDではもう新しいものはやりません 古いのを繰り返し見ましょう 真実なのですから エリザベス・ギルバートの講演を５回見ましょう とてもいいことを言っています」 きっとまやかしだと思うでしょう 宗教的な場では そうは感じません</p>
<p>宗教はまた 時間を設定します 主要な宗教はどれも暦を持っています 暦とは何でしょう？ 暦は一年を通じて様々な重要な考えに 間違いなく出会うようにする方法なのです カトリックの年表 カトリックの暦では ３月末にヒエロニムスのことを思い その謙虚で善良な人となりや 貧者への施しについて思います これは偶然ではなく そう導かれるからそうするのです 一方 世俗的な世界ではこう考えます 「その考えが重要なものなら 放っておいても出くわすはずだ」 宗教的世界観ならナンセンスだと言うでしょう 宗教的観点では 暦が必要であり スケジュールが必要であり 出会いを仕組む必要があるのです これはまた 宗教が大切な感覚のまわりに 儀式を作り上げるやり方にも見られます</p>
<p>月を例に取りましょう 月を見ることはとても大事です 月を見るとき 「自分は本当に小さい 自分の問題とは何だろう？」と思い 物事を大局の中に置いて見るようになります 月をもっと頻繁に見るべきでしょうが なぜ見ないのでしょう？ 誰も「月を見てご覧」と言わないからです しかし禅宗徒の場合は 9月中頃に 月見の祝いをするように言われます 家の中から出て 縁側に立ち 月を称える詩を読んで 過ぎゆく時と命のはかなさに 思いを致すのです そしてお餅をもらいます 月と月への想いは 心にしっかり根付くことでしょう これはとてもいいことです</p>
<p>宗教がよく分かっているもう１つのことは うまく語るということです 私はあまりうまくできませんが 修辞というのは宗教にとって鍵となるものです 世俗的な世界では大学教育を受けてもスピーチは下手で それでも仕事はこなせます しかし宗教の世界はそうではありません 語る内容は 説得力ある語り口に 支えられている必要があるのです</p>
<p>米国南部に アフリカ系アメリカ人の ペンテコステ派教会がありますが 彼らが語るのを聞いてご覧なさい まったく見事に語ります 強く訴えかけるポイントで聴衆は「アーメン アーメン」と声を上げ 熱のこもった節の終わりには 総立ちになって言うのです 「イエスよ感謝します キリストよ感謝します 救い主よ感謝します」 彼らがするように私達もするとしたら･･･ 今はやらないですが やるとしたら こんな風になるでしょう 「文化は聖書を置き換えるべきです」 すると皆さんは「アーメン アーメン」と応え 講演の終わりには 総立ちになって言います 「プラトンに感謝 シェークスピアに感謝 ジェーン・オースティンに感謝」 そして本当にリズムを感じます いいぞ 素晴らしい これこそ そうだ</p>
<p>(拍手)</p>
<p>宗教は 私達には頭だけでなく 体もあることを よく分かっています 彼らが教えを授けるときには 体を通して教えます たとえばユダヤ教徒の 赦しについて考えてみましょう 赦しと 新しくやり直すことを ユダヤ教徒はとても重視しています それについて説教したり 本や言葉を与えるだけでなく 沐浴するように言います 正統派ユダヤ教コミュニティでは 毎週金曜に ミクワーに行って 水の中に体を浸します 肉体的な行動が 思想的なアイデアを支えるのです 私達はそういうことをしません 思想と体を使う行動とは別々です 両者を組み合せる点で 宗教は素晴らしいと思います</p>
<p>今度は芸術に目を向けてみましょう 芸術は世俗的世界において高く評価されているものです 芸術はとても重要なものと考えられています 富の余剰の多くが美術館などに向けられています 美術館は私達の新しい聖堂だ 新しい教会だとも言われます お聞きになったことがあるでしょう 可能性はそこにあるのに 私達は自らを失望させてきました 失望する理由は 宗教が芸術をどう扱っているか ちゃんと学んでいないからです</p>
<p>２つの非常に間違った考えが現代社会に漂っていて 芸術から力を引き出す能力を妨げています １つは 芸術のための芸術というものです 馬鹿げた考えです 芸術は密封された泡の中にあって 騒然とした世界とは関わるべきでないというのです 私はまったく反対です もう１つの思い込みは 芸術は自らを説明すべきでない 芸術家は解説すべきでないというものです それをやると魔法が解けてしまい 簡単になりすぎてしまうからです 美術館で受けるあの感覚はこのためです 皆さんも覚えがあるでしょう 「これ いったい何なのかわからない」 生真面目な人は認めようとしませんが あの困惑の感覚は 現代芸術の構造的な問題なのです</p>
<p>宗教の芸術への態度はずっとまともで 芸術の意味を説明するのに躊躇いません 主な信仰で芸術の役割は２つ 第１に愛すべきものを 思い起こさせること 第２に怖れ 憎むべきものを 思い起こさせることです それが芸術です 芸術は— 信仰における重要な観念を 腹の底から感じる体験なのです 教会やモスクや聖堂を歩き回るときに しようとしているのは 通常は頭で理解するところの真理を 目を通し 感覚を通して 吸収するということです</p>
<p>実質これはプロパガンダです レンブラントはキリスト教的世界観の プロパガンダをしていたのです 「プロパガンダ」と聞くと皆警戒し ヒトラーやスターリンを思い浮かべますが 本来プロパガンダは 何かを笠に着て説教する方法のことです それが良いものであるなら 何も問題はありません</p>
<p>美術館は宗教を見習うべきです 美術館に歩み入ったとき･･･ 私が作るとしたら 愛の部屋や寛容の部屋を設けるでしょう 芸術作品はすべて私達に何かを語ります 様々な作品に出会い そこで語りかけられ 作品によって観念を心に刻めるよう 展示スペースを構成できるなら 芸術からもっと多くを得られるでしょう 間違った考えのため無視されてきた 芸術本来の役割を取り戻せるでしょう 芸術は社会を良くするための 道具でもあるべきです 芸術は説教的であるべきです</p>
<p>別なものを考えてみましょう 現代の世俗的世界では 魂に関すること 精神に関すること 高次の霊的なものなどに関心のある人は 孤立した存在になりがちです 詩人 哲学者 写真家 映画制作者など 彼らは自分だけでやる傾向があり 家内産業的で 弱い一個の人間です １人でいると絶望や悲観をしがちです そしてあまり影響力を持つこともありません</p>
<p>今度は組織的な宗教を考えてみましょう 組織的宗教がするのは何でしょう？ 集まって組織を作ります これにはあらゆる利点があります 第一に規模と力があります ウォールストリートジャーナル紙によれば カトリック教会は 昨年970億ドルを稼ぎ出しました ものすごい組織です 協同的で ブランドを持ち 多国籍的で 高度に統制が取れています</p>
<p>これらはすべてとても良い資質であり 企業に見られる特質です 実際— 企業は様々な点で宗教に似ていますが マズローのピラミッド底辺の欲求に応え 靴や車を売るという点が違っています 一方でもっと高度なものを売る人々 セラピストや詩人は 独力でやっていて 力を持ちません 宗教は 心に関わるものを取り合う組織として 真っ先に挙げられるものです 宗教が教えようとしていることに同意しなくとも 彼らがやっている組織的方法には 感心すると思います</p>
<p>孤立した個人によって書かれた本は 何も変えません グループになる必要があります 世界を変えたいなら 一緒になって 協力する必要があります それが宗教のやっていることです 宗教は多国籍的で ブランドがあり 明確なアイデンティティを持ち せわしない世界にあって— 見失われることがないのです これには私達が学べるものがあります</p>
<p>まとめたいと思います 私が本当に言いたかったのは 様々な異なる領域で活動されている皆さんは たとえ宗教を信じていなかったとしても 宗教を手本として学べることがある ということです 何か共同的なこと 大勢で— 一緒にやることに関わっているなら 宗教には参考になるものがあります 旅行業界に何らかの形で関わっているなら 巡礼に目を向けてみることです じっくり観察してみることです 旅行がどんなものでありうるか 私達は 表面的にしか理解していません 宗教が 旅行で何をしているか見ていないからです 芸術の世界にいるのなら 宗教が芸術で何をしているか見ることです 教育者なら 宗教が思想を広める方法に目を向けることです 思想の中身は置いておくとしても 宗教は思想を広めるための非常に効果的なメカニズムなのです</p>
<p>だから私の結論は 宗教に同意しなくとも 宗教は様々な面でとても 巧妙であり 複雑であり 知的であり 信者だけのものにしておくのは もったいないということです 私達みんなのものにすべきです</p>
<p>ありがとうございました</p>
<p>(拍手)</p>
<p>これはとても勇気ある講演だと思います あなたはご自分を とある方面から 嘲笑される立場に置いているのですから</p>
<p>両方から撃たれるでしょうね 強硬な無神論者からも 信心深い人からも</p>
<p>北オックスフォードからも いつミサイルが</p>
<p>来るか知れませんね (ボトン: まったく)</p>
<p>しかしあなたは宗教のある側面 多くの人が取り入れうると考えるものに 触れていませんね 実際宗教的な人にとって おそらく最も重要な 霊的な体験 自分よりも大きな何かとの 繋がりのようなものです そういう体験は 無神論2.0の中に居場所はあるのでしょうか？</p>
<p>ええ 私はよく「でも 我々よりも もっと大きな何かがあるのでは？」 と言う人に出会います 「もちろん」と答えると「ではあなたも宗教的でしょう」 と言われますが それには「違います」と答えます なぜ宇宙の謎に満ちた感覚 目もくらむスケールの感覚に 神秘的雰囲気を付け加える必要があるのでしょう？ 科学と単なる観察が 神秘抜きでも 大いなるものの感覚を与えてくれます 必要に思いません 宇宙は大きく 我々は小さい 宗教的上部構造がなくとも明らかなことです 霊を信じていなくとも 霊的な瞬間を体験することはできます</p>
<p>１つみなさんに質問させてください この中で 自分にとって宗教は重要だという人は？ あなたが話されていることと 彼らに言うことを橋渡しするための 同様のプロセスはあるのでしょうか？</p>
<p>世俗的生活にはたくさんのギャップがあり それは塞ぐことのできるものです 前にも言いましたように 宗教を持って すべてを受け入れねばならないか 宗教を持たず あらゆる素晴らしい— ものから切り離されるか という二者択一ではないのです みんながいつも 「信仰がないからコミュニティに入れない 道徳から切り離されている 巡礼にも行けない」と言うのは悲しすぎます 「何で駄目なの？」と思います それが私の話の要点です 宗教から吸収できるものは多く 無神論は宗教の豊かな源から 自らを切り離すべきではありません</p>
<p>TEDコミュニティには無神論者が 多いように思えます しかしほとんどの人は 宗教がすぐになくなるとは思っていないし 建設的な議論ができる 言葉を見つけて 互いに話し合い 共通なものを 分かち合いたいと思っています 宗教が 分断と戦争の鬨の声（ときのこえ）ではなく 架け橋となる可能性について 楽観的になるのは 愚かでしょうか？</p>
<p>いいえ 我々は違いに対して礼を持って対すべきです 礼というのは見過ごされがちな美徳です 偽善のように見えます しかし自分が無神論者で 誰かが「この間お祈りしたんだ」と言うとき 礼をもって無視し 先に進むような— 段階に 至る必要があります なぜなら９割のことには合意できるからです 多くのことについて考えを共有し 違う部分には礼をもって接することです 宗教的な争いが起きるのは それができてないためだと思います 調和的な不一致の可能性を無視しているのです</p>
<p>最後に あなたが提案している この— 新しいものは 宗教ではありませんが リーダーが必要では？ その教祖を買って出ようと思いますか？</p>
<p>(笑)</p>
<p>私達がみんな胡散臭く思っているのは 個人崇拝です それは必要ありません 私が説明しようとしたものは フレームワークで みんなが埋めていけることを期待しています 私が描き出したのは大枠です どこにいるかに応じて 旅行業界なら旅行関係のところを 共同体であれば共同的なところを 宗教に学べばいいのです だからこれは一種の—</p>
<p>Wikiプロジェクトです (笑)</p>
<p>アラン 対話の口火を切っていただき ありがとうございました</p>
<p>(拍手)</p>
<p>引用元：<a href="http://www.ted.com/talks/lang/ja/alain_de_botton_atheism_2_0.html" target="blank">TED</a></p>
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