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NHK・さかのぼり日本史 <昭和 “外交敗戦”の教訓> 第4回「崩れゆく国際協調」

2012年5月22日に放送された、NHK・さかのぼり日本史 <昭和 “外交敗戦”の教訓> 第4回「崩れゆく国際協調」を紹介します。

(所要時間:約25分)

動画の内容
中国の再統一

かつて、中華民国の首都だった「南京」。14世紀の“明(みん)”の時代に築かれた巨大な城壁が、街を取り囲んでいます。

数ある城門の中で、最大の城門が「中華門」です。“辛亥革命(しんがいかくめい)”後、南北に分裂していた中華民国が、1928年に再統一された後に、「中華門」と呼ばれるようになりました。門に掲げられた文字は、再統一を成し遂げた、蒋介石(しょうかいせき)が印しました。

国民革命軍を率いた、蒋介石(しょうかいせき)。その、中国再統一への動きは、当時の国際社会に大きな波紋を投げかけました。

1926年、中国全土の統一を目指した、蒋介石(しょうかいせき)の軍事作戦「北伐(ほくばつ)」が始まります。これに対し、満州に特殊権益を持つ日本は、満州を拠点とする軍閥と提携することで、蒋介石(しょうかいせき)の動きを封じようとしました。

同じく、中国に権益を持っていたイギリスやアメリカも、当初、日本と協調する方針を見せていました。ところが、蒋介石(しょうかいせき)による統一が目前に迫ると、両国は、日本と距離を取り、中国を加えた新たな国際秩序を模索します。満州の権益にこだわる日本は、中国をめぐる国際協調から取り残されていきました。

やがて、中国が再統一されると、日本では、満州を武力で奪い取ろうとする勢力が台頭し、“満州事変(まんしゅうじへん)”へと繋がっていきます。

国際情勢の変化に即して 新しい外交戦略を打ち出せなかった日本。その姿から、敗戦へと至る、昭和の外交の原点を見つめます。

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