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なぜ働くのか? (なぜ大多数の人が、単調で無意味で魂をすり減らすような仕事をしている状況を許しているのか?)/バリー・シュワルツ

“誤ったアイデアは、それを正しいものにするような環境を作り出しうる” なるほどね。

(所要時間:約8分)

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動画の内容 (全文書き起こし)
我々の仕事の考え方は間違っている/バリー・シュワルツ

今日は仕事についてお話しします 私が問い 答えたい疑問は 「なぜ働くのか」ということです なぜみんな毎朝ベッドから 体を引きずり出すのでしょう? TEDのような冒険から冒険へと 飛び回る人生を送るのでなく?

(笑)

皆さん自身 この質問を 自分にしているかもしれません もちろん生計を立てなければならないのは 分かっていますが それが「なぜ働くのか」という 疑問への答えだという人は この場にはいないでしょう

ここにいる人たちにとって仕事は 挑み甲斐があり 夢中になれ 刺激的で 意味があるものでしょう そして幸運なら 重要でさえあるかもしれません

お金をもらえなければ 仕事をしないとしても それが仕事をする理由ではないでしょう 一般的に言って 私たちがやっているような 仕事をする動機として 物質的な報酬はまずいものだと 私たちは思っています 誰かについて 「金のためにやっている」と言うのは あまり記述的とは言えません

(笑)

これはまったく 自明のことだと思いますが この自明さは 極めて本質的な疑問を 引き起こします これがそんなに自明であるなら 圧倒的多数の人々に とっての仕事はなぜ 毎朝私たちにベッドを出て 仕事場に向かわせるもののような 特質を持たないのでしょう?

なぜ大多数の人が 単調で無意味で 魂をすり減らすような仕事をしている状況を 許しているのでしょう?

なぜ資本主義の発展につれ 仕事から得られる非物質的満足を 失わせてしまうような 生産形態が生み出されたのでしょう?

そのような仕事をする人々は それが工場であれ コールセンターであれ 出荷倉庫であれ お金のためにしています 賃金以外に彼らの仕事をしようと思う 理由はありません

疑問は「なぜか?」ということです そしてその答えは テクノロジーにあります

ええ ええ 分かっています そう そう テクノロジーと自動化は 人間の敵だとかなんとか 私が言っているのは そういうことではありません

私が言っているテクノロジーは 私たちの生活を包み みんなTEDに聞きに来るような種類の テクノロジーではありません モノのテクノロジーの話ではないのです それはそれで重要に 違いありませんが 私が言っているのは 別のテクノロジー アイデアのテクノロジーです 私はこれを「アイデア・テクノロジー(IT)」と 呼んでいます 気が利いてるでしょう?

(笑)

科学はモノだけでなく アイデアも生み出します 科学は理解する方法を 生み出します そして社会科学が生み出した 理解の方法は 我々自身を理解する方法です そしてそれは 私たちがどう考え 何を望み どう振る舞うかに 大きな影響を及ぼしています

貧困が神の意志だと思うなら 祈るだろうし 貧困が自分の無能さの 結果だと思うなら 絶望に陥るだろうし 貧困が圧政のためだと思うなら 反乱を起こすでしょう

貧困に対する反応が 服従か革命かは 貧困の原因が何であると 理解するかにかかっています これが人間を形作る アイデアの役割です そしてこれこそが 科学のもたらすテクノロジーの中で アイデア・テクノロジーが 最も重要かもしれない理由です

またアイデア・テクノロジーには モノのテクノロジーとは違った 特別なものがあります モノのテクノロジーの場合 駄目なものは 単になくなるだけです まずいテクノロジーは 消えていきます

アイデアの場合 人間に関する誤ったアイデアは それを正しいと信じる人がいる限りなくなりません なぜなら それを正しいと思う人々が その間違ったアイデアに合致した生活様式や組織を作り出すからです

そしてそのようにして産業革命は 工場システムを作り出したのです そこでの仕事では 一日の終わりにもらう給金以外に 得られるものが まったくないような場所です

それというのも 産業革命の父の一人である アダム・スミスが 人間というのは本質的に怠惰なものだと 考えていたからです

やり甲斐を与えてやらない限り 何をすることもなく やり甲斐となるのは インセンティブを与えること 報酬であり 人が何かをするのは それが唯一の理由なのだと 工場システムが作られたのは そのような 人間に対する誤った見方に基づいていました

しかし一度そのような 生産システムが生まれると 人が働く方法は それしかなくなってしまったのです アダム・スミスの見方に 合ったものだけです この仕事の例は 誤ったアイデアはそれを正しいものにするような環境を作り出しうる という例の1つに過ぎません

「もはや良い働き手は得られない」というのは 正しくありません 屈辱的で 心をなくすような仕事を与えているから 「もはや良い働き手は得られない」のです

興味深いことに 大量生産と分業という すごい発明をもたらした アダム・スミスは このことを理解していました 彼は言っています 「組み立てラインで働く者は 通常人間としてあり得る限り 愚かな者になる」と 「なる」という部分に注意してください

通常人間としてあり得る限り 愚かな者になる

彼が意図していたか分かりませんが 彼がここで言っているのは このような職場のあり方は その職場の要求に適合した人間を作り出し 私たちが当然と思っているような 仕事の喜びを得る機会を 奪ってしまうということです

自然科学の場合 私たちは宇宙について 素晴らしい理論を紡ぎ出しながら 宇宙が我々の理論を 意に介することはないと 思っていられます 我々が宇宙について どんな理論を持っていようが 宇宙は変わらずに居続けます

しかし人間の性質についての理論では 注意が必要です 人間とは何かを説明し 人間を理解する助けとなるべく作られた理論が 人間の性質自体を変えてしまうからです

優れた文化人類学者である クリフォード・ギアツはかつて言っていました 「人間は未完成の動物である」と それが意味しているのは 人間の性質というのは その人が住む社会の産物だということです

人間の性質というのは あくまで「我々にとっての」人間の性質であって 発見されるよりは 作られるものなのです 人々がその中で生き 働く組織を デザインすることによって 我々は人間の性質をデザインしているのです

だから私が最も近くに寄る 機会を得た 宇宙の主である皆さんは 帰って組織を運営しようというとき 自らに問う必要があります

どのような人間の性質をデザインしようと思うのか?

ありがとうございました

(拍手)

ありがとう

引用元:TED

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