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マララのように強くて勇敢で雄弁で落ちついた子供を育てるたった一つの秘訣/ジアウディン・ユスフザイ

ノーベル平和賞を受賞したマララ・ユスフザイさんの父親であり教育者のジアウディン・ユスフザイ氏が、家父長社会では「女性が教育を受ける権利」が奪われ、いまだに男尊女卑の悪しき精神が引き継がれていることを解説。講演の最後に、マララのような子供を育てる秘けつを教えてくれます。

(所要時間:約17分)

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動画の内容 (全文書き起こし)
ジアウディン・ユスフザイ: 私の娘、マララ

多くの家父長社会と 部族社会では 父親が息子の出世で有名になりますが 私は そんな中で数少ない 娘によって有名になった父親です これを光栄に思います

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マララが教育のための キャンペーンを始めて 女性の権利を求めて立ち上がったのは 2007年のことでした 彼女の努力が認められたのは 2011年のことです パキスタン政府から 「国民平和賞」を授与されると 一躍有名になりました パキスタンを代表する 有名な女の子になったのです それまでマララは 「ジアウディンの娘」でしたが 今では私が 「マララの父親」と呼ばれます

ご来場の皆さま 人類の歴史を振り返ってまいりますと 女性の歴史とは 不公正の物語であり 不平等 暴力、搾取がつきものでした ご存知のとおり 家父長社会は 子どもが産声を上げた時から 始まります 女の子が生まれると その誕生は祝福されません 誰からも歓迎されず 実の両親にすら 喜ばれません 近所の人たちが訪れては 母親をなぐさめます 父親に「おめでとう」と 言う人はいません 女の子を産んだことで 母親は とても肩身の狭い思いをします 初めての子供が 女の子だった時 母親は悲しみにくれ 2人目の子供が女の子だと 母親はショックを受けます 今度こそ息子でありますようにと 願いながら 3人目の子供も女の子だと 犯罪者のごとく 罪悪感にかられます

この苦しみは 母親だけのものではありません 娘に受け継がれます 生まれた女の子が 大きくなると また苦しみをうけるのです 彼女が5歳になると 就学すべき年齢なのに 家にいなければいけません 彼女の兄弟達は 学校に行けるのにです

彼女が12歳になるまでは どうにか良い生活を送ります 楽しいことができます 道端で友達と一緒に遊んだり 一人で外を歩いたりできるのです 蝶々みたいに自由です ところが十代になると 13歳になると 女性は男性のつきそいなしに 出かけることを禁じられます 家の中に閉じ込められるのです もはや自由を謳歌できる 一個人ではなくなります 女性は父親や兄弟 そして家族にとっての いわゆる「名誉」になるのです ですから女性が この「名誉」を傷つけると 殺されることすらあります

面白いことに この「名誉」と呼ばれるものが 女の子の人生に 影響を及ぼすだけでなく 家族の男性陣の人生にまで 影響を与えるのです 7人の娘たちと1人の息子から成る 家族がいまして この1人の息子は 湾岸諸国に出稼ぎに出ています 7人の姉妹と両親を 食べさせるためです なぜかというと 7人の姉妹が スキルを磨いて 家を出て生活費を得ることが 恥だと考えているからです ですから彼は 「名誉」と呼ばれるもののために 自身の生きる喜びや 姉妹の幸せを犠牲にしているのです

家父長社会にある もう一つの規範が 「服従」と呼ばれるものです 良い女の子として 求められるのは とても物静かで慎ましく とても従順なことです これが良い条件です 良い女の子とは おとなしくなければいけません 彼女達に求められるのは 父親や母親、年長者による決定を 黙って 受け入れることです たとえ本人が嫌だったとしてもです ですから自分が気に入らない男性や 年の離れた男性との結婚でも 受け入れざるをえないのです 従順さに欠けると 受け取られたくないからです

まだ幼くして結婚させられても 受け入れなくてはいけません さもないと従順ではないという 烙印を押されるからです すると どうなると思いますか? ある女流詩人の言葉を借りるなら 「結婚を強いられ 夫婦関係を強いられ 次から次へと 息子や娘を産んだ」と この状況で皮肉なのは この母親が 同じ「服従」の大切さを 娘に説いて 同じ「名誉」の重要さを 息子に教えるのです こうやって悪しきサイクルが 果てしなく続いていくのです

ご来場の皆さま 何百万人の女性の このような窮状を 変えるためには 違う考え方を持つことです 男性と女性が これまでの考え方を変えること 開発途上国の 部族社会や家父長社会にいる 男性と女性が 家族や社会にある いくつかの規範を 断ち切ることです 国内にはびこる 女性の基本的人権に反する 社会の体制を作る 差別的な規範を 廃止することです

親愛なる兄弟姉妹の皆さま マララが生まれた日のことです 初めて溢れてきた思いは ―実のところ 生まれたての子どもは 苦手な私でしたが― 生まれたばかりの マララの目を見ると 心から とても誇らしい気持ちになりました 彼女が生まれる ずっと前から 名前は決めていました 私はアフガニスタンで 自由のために戦った 伝説のヒロインに魅せられていました 彼女はマイワンドのマラライと呼ばれました 娘の名前は 彼女にちなんだものです マララが生まれて 数日後のことです 私のいとこが 我が家にやって来て 偶然にも 家系図を持ってきたのです ユスフザイ家の家系図で それを見ると 300年前の祖先まで さかのぼるものでした でも そこに書かれているのは 男の名前だけで ペンを手にした私は 私の名前から線を引いて 「マララ」と書きました

彼女が成長し 4歳半になると 私が経営する学校への 入学を認めました 皆さんは私が 女児の入学許可について あえて申し上げるのを 不思議に思われるでしょうか そう 話さなければいけないんです カナダやアメリカ その他の多くの先進国では 当たり前のことかもしれませんが 貧しい国々や 家父長社会、部族社会では 就学とは女の子にとって 一大事です 学校に通えるということは 自分のアイデンティティや名前を 認めてもらえること 学校に通えるということは 将来のために 自分の可能性を 探せる 夢や希望をかなえる場所に 足を踏み入れることです

私には5人の姉妹がおりますが 誰一人として 学校に通えませんでした 皆さん驚かれるでしょうが 2週間前のことです カナダビザの申請書を 作成していたんですが 自分の家族について 記載する箇所があり 姉妹の内 何人かの 名字を思い出せませんでした といいますのも 私の姉妹の氏名が書かれた書類を 一度たりとも見たことがなかったのです こういったことから 私は娘を大切にしました 父が私の姉妹 つまり父の娘達に 与えられなかったもの これを変えなければと思いました

私は娘の知性と聡明さを 大事にしてきました 私の友人が来ると 娘をそばに座らせ 様々な会合に 一緒に連れて行きました これら全ての良い価値観が 彼女自身に根付けばと願いました これはマララだけに 願ったことではありません こうした良い価値観全てを 男女分け隔てなく 私の学校の全生徒に教えました 教育を通して 子ども達を解き放ちました 私が女の子達 女子生徒に教えたのは 服従の教えを学ばないこと 男子生徒に教えたのは 偽りの名誉の教えを 学ばないことです

親愛なる兄弟姉妹の皆さん 私達は女性の権利のために 戦ってきました そして社会に もっともっと沢山の 女性の居場所を作るため 努力してきました ところが新しい障壁が 立ちはだかりました 人権を脅かし 特に女性の権利を危険にさらしている タリバン化と呼ばれたものです

タリバン支配下では 全ての政治、経済 社会活動において 女性の参画が完全に否定されます 数百にのぼる学校が破壊されました 女の子は学校に通うことを 禁じられます 女性はベールをかぶるよう強要され 市場に買い物に行くことすら 禁じられました 音楽は取り上げられ 女の子が鞭で打たれ 歌手が殺されました 何百万もの人々が苦しみましたが 声をあげた人は ほとんどいませんでした 一番恐ろしかったのは 殺人や鞭打ちが横行している そんな中で 自分達の権利のために 声をあげることでしょう 本当に本当に怖かったです

マララは10歳になると 教育を受ける権利のため 立ち上がりました 英BBC放送のブログに日記を投稿し 米ニューヨーク・タイムズの 短編ドキュメンタリー制作に協力し あらゆる場所で声をあげました マララの声が一番パワフルでした その声は勢いを増しながら 世界中に広がり これがタリバンが 彼女の活動を 容認できなくなった理由でした 2012年10月9日のことです マララは至近距離で 額を撃たれました

私と私の家族にとって まさに世界の終わりでした 世界が大きなブラックホールに 飲み込まれたのです 私の娘が 生と死のはざまを さまよっている間 私は妻の耳元で つぶやきました 「私達の娘に起こったことは 私の責任だろうか?」

彼女はすぐに 「どうか自分を責めないで あなたは正義のために立ち上がった 自分の命の危険をさらしてまで 真実を求めて 平和を求めて 教育を求めた そんなあなたに感化されて 娘は後に続いたのよ 2人とも正しい道を歩んできたから 神様はきっとマララを守ってくださる」

この言葉に助けられて 自分を責めることは 二度とありませんでした

マララが病院で 耐え難い苦痛を経験し 顔の神経損傷による 重度の頭痛を抱えていた時 妻の顔に 暗い影がさしたのを見かけたものです そんな時でさえ 娘は不満をもらしませんでした よく私達に言ってくれたのは 「笑えなくたって 顔が麻痺していても大丈夫 よくなるから どうか心配しないでね」 彼女は私達をなぐさめ 癒してくれました

親愛なる兄弟姉妹の皆さん 私達がマララから学んだことは 最も困難な時でさえ 立ち向かっていく力です 皆さんに ぜひお伝えしたいのは マララが 子供と女性の権利を取り戻す 希望の象徴であったとしても 普通の16歳の女の子と 何ら変わりないことです 宿題が終わらない時は 泣きますし 弟達と喧嘩します 私には それがとても嬉しいんです

周りの人達から マララみたいに強くて 勇敢で雄弁で 落ちついた子供の 育て方の秘訣を聞かれます 私の答えは 「私が何かしてあげたのではなく あることをしなかったお陰でしょう 彼女の『翼』を切り取らなかった それだけです」

ありがとうございました

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ありがとうございました 本当にありがとうございました 

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引用元:TED

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