@動画 > 国際・紛争 > パレスチナ社会に存在する「女性差別」について/イーマン・ムハンマド

パレスチナ社会に存在する「女性差別」について/イーマン・ムハンマド

パレスチナのガザ地区で報道カメラマンをしているイーマン・ムハンマドさんが、パレスチナの社会に存在する「女性差別」を批判しています。

(所要時間:約5分)

この動画を大きい画面で見る

動画の内容 (全文書き起こし)
パレスチナ・ガザ地区の子供

私は19才でこの仕事を始めました。パレスチナのガザで、最初の女性フォトジャーナリストになったのです。

女性報道写真家という仕事は、この地方の慣習に対する重大な侮辱とみなされ、私と家族に対して、消えることのない汚名が着せられたのです。男性優位のこの分野では、私の存在をあらゆる手段で封じようとしました。女は男の仕事をしてはならないときつく言われました。ガザの報道写真業界からは訓練を拒まれました。 女だからという理由です。きっぱりと「ノー」と言われたのです。

同僚の3人が私を空爆の現場に連れて行きました。そこで聞こえて来るのは炸裂する爆音だけでした。粉塵が舞い上がり、足元がふらつく程大地がぐらぐらと揺れていました。ここに仕事のために来たのではないと気づいたのは、同僚の3人が装甲ジープに戻り、私を空爆のただ中に残して あざ笑いながら手を振って走り去った時です。

一瞬の間、恐怖と 惨めさと 後悔に襲われました。同僚たちの行為と似たような、命に関わる脅迫はそれまでもありましたが、この時の恐怖とは 比較になりませんでした。

ガザにおける女性の立場は弱いものです。最近まで多くの女性は就業や教育を許されませんでした。女性に課された社会的制約と、パレスチナ問題という二重の戦いのもとでは、女性の話は良いものも悪いものも消え入ってしまいます。男にとって女の話は取るに足らないものと見なされました。

私はガザの女性達の生き方に注目するようになりました。私は女性であることから、同僚たちが禁じられた場所にも行けました。目に見える苦痛と闘いを越えたところには、笑い声や達成感を得て、健やかに心晴れるひとときもあります。

ガザでの最初の戦闘中、警察署の前でのことです。 イスラエル側の空爆で建物が崩壊し、私は鼻を骨折しました。その瞬間目にしたのは、白く眩しい光だけでした。ちょうどこの照明のようでした。 心の中で、目が見えなくなったか、天国に行ったかと思いました。

イスラエルの空爆直後

かろうじて目を開けることができた時、この瞬間を捕らえたのです。

ムハンマド・カダールは、パレスチナの労働者で、20年間イスラエルで働きました。退職の際、かねての計画通り 4階建ての家を建てることに決めました。自宅近くで行われた最初の戦闘で、彼の家は崩壊しました。残ったのは彼が育てた鳩と、テル・アビブから買って帰ったジャグジー付きのバスタブだけでした。ムハンマドはバスタブをガレキの上に置いて、子どもたちに毎朝バブルバスを楽しませました。

私の仕事は戦争の傷を隠すことではなく、誰も知らないガザの住人たちの日常を、余すところなく知らせることです。パレスチナ生まれの女性写真家として、日々を闘い、生き抜くことから力を得て、この社会の抱えるタブーを克服し、戦いとその余波の知られざる側面を報じています。

目撃者としての私は選ばねばなりません。逃げるのか、留まるのか。

ありがとうございました。

(拍手)

引用元:TED

@動画 > 国際・紛争 > パレスチナ社会に存在する「女性差別」について/イーマン・ムハンマド

▲このページの先頭へ