2015年7月21日 国際・紛争 タグ: PTSD(心的外傷後ストレス障害), アフガニスタン, ドイツ, 報道ステーション, 安保法制, 戦争, 木村草太(きむらそうた), 集団的自衛権
憲法解釈を変えて「後方支援」する事になったドイツがアフガニスタンで見た惨劇/報道ステーション
2015年7月20日に放送された、報道ステーション「“憲法解釈”変えて『後方支援』ドイツがアフガンで見た惨劇」を紹介します。
(所要時間:約13分)
動画の内容
ドイツ連邦軍 トウステン・ガートナー氏(50)
「我々の基地は、一年間に31本のロケット弾を受けました。私も基地内にいたが生き残った。」
任務は戦闘には直接かかわらない「後方支援」だった。
アフガンに派兵されたヨハネス・クレア氏(29)
「銃弾が首の真横をかすめた。その時はただあと数日生き延びる事が出来ればいいと思った。」
そう語るクレアさんの主な任務は、2010~11年のアフガニスタンでの活動で、弾薬輸送や地雷撤去などの「後方支援」のはずだった。
安全と聞かされていた任務だったが、20回も銃撃戦に巻き込まれたと言う。
戦後ドイツは、憲法で侵略戦争を禁じ専守防衛に徹してきた。湾岸戦争でも多国籍軍には参加せず、約1兆円の経済支援をするにとどめた。
しかし、その姿勢がアメリカなどから「小切手外交」との批判を浴び、当時のコール政権が憲法の解釈を変更し、海外派兵に道を開いたのだった。
裁判所も条件付きでこれを認めた。
そして2001年、アメリカがアフガニスタンで対テロ戦争を始めると、ドイツは「国際治安支援部隊(ISAF)」に参加した。
任務は、米軍などへの後方支援、現地の治安維持、学校建設・医療支援などの直接戦闘とは関わりのないものだった。
コンスタンティンさん(22)は、高校卒業後友人の誘いで入隊し、2010年からアフガンに派兵された。
任務は、基地内での車両の整備。その作業の最中、突然侵入してきた男の銃弾を浴び命を落とした。
22歳の長男を亡くした ターニャ・メンツさん(46)
「政府は最初、復興支援や井戸の建設、子どもの学校の送り迎えをするんだと言っていた。危険は少ないと。」
「海外派兵が何の役に立ったのか、未だによく分からない。息子が犠牲になってヒーローにされても家族にとっては何の意味もない。」
ドイツは、昨年アフガンでの活動を終えたが、自殺者を含め死者は55人。多くは若者たちだった。
だがそればかりでなく、帰還した兵士の心にも大きな傷跡を残した。
アフガンに派兵されたクリスチャン・パパイエスキー氏(36)
「記憶力がひどく衰えた。そしてとても攻撃的になり、何度か暴力的な行為に及んだ事もあった。」
「恋人を殴った。一瞬でかっとなり見境なく殴り続けた。」
目の前で仲間が殺された事が原因で、帰国後戦場の様子が突然よみがえってくるようになったという。
「政府は安全だと言っていたが、そうではありませんでした。そこは戦場だったのです。」
彼は帰国後、PTSD(心的外傷ストレス障害)と診断されて入院、4年たった今も通院する毎日だと言う。
ドイツでは、このように帰還した兵士がPTSDを発症するケースが多発し、社会問題になっている。その数は、年間200~300人だという。
日本がドイツと同じ道を進むのであれば、帰還兵の受け入れ態勢は必ず整えておくべきだと精神科医は語った。
安倍総理
「後方支援をどのように実施するかについては、必ず戦闘に巻き込まれるわけではない。」
「物資を安全な場所で、相手方に渡す。これが今や私は常識ではないかと。」
後方支援の最中、何度も銃撃戦に巻き込まれたクレア氏は言う。
「政府がいったい何の為にやるのか。そして犠牲を払う準備が出来ているのか。」
「自分たちの息子や娘の遺体を出迎える用意が出来ているのか。」
「何より大切なのは、犠牲についてオープンにちゃんと議論することだ。」
引用元:misaのブログ