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京都は守られたのか? ~知られざる原爆投下計画を追う~/MBS毎日放送

2015年08月10日に放送された、MBS毎日放送 <戦後70年報道特別番組> 「京都は守られたのか ~知られざる原爆投下計画を追う~」を紹介します。

(所要時間:約16分)

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動画の内容
単純に文化財がすべてに優先するほど戦争は甘くない

1945年7月24日、滋賀県大津市の東レ工場に1発の爆弾が落とされた。爆撃地点は石碑はもちろん、なんら痕跡もない、まさに「忘れられた空爆」だ。戦中の報道規制から詳しい被害者の数も不明だが、学生ら100人以上が死傷したといわれている。

空爆が少なかった大津に突如爆弾が落とされたのは、実は京都を想定した模擬原爆、つまり予行練習だったというのだ。

アメリカ軍の機密文書などには、原爆の投下目標を選定する委員会の記録が残っていて、京都は、広島と並んで第一目標になっていた。

投下目標とされた町に対しては「原爆を投下するまで手をつけるな」という意味で攻撃しないよう命令が出されていた。これが「京都は空爆がなかった」理由だと推察されている。

原爆は、「広島・長崎」に投下されたが、実は京都への原爆投下計画は残っていた、というのだ。

一方、京都への原爆投下計画が密かに進行する中、多くの文化財、国宝を抱える京都の寺社では、いつ襲い掛かるか分からない米国の空襲に備えてさまざまな計画が秘密裏に進められていた。

そのひとつが、醍醐寺に京都府下の国宝や美術品を疎開させる計画だ。なぜ、京都府の社寺課は醍醐寺を選んだのか、またどのような防空防火対策を施していたのか。府や醍醐寺に伝わる文書や証言をもとに当時の様子を描く。

また、西本願寺では、親鸞聖人木造を密かに奈良の山奥にある寺に疎開させていた。

戦時下の知られざる“京都の実像”をつまびらかに浮き彫りにし、あの戦争で何が起き、京都の人たちはどのようにして町を守ろうとしていたのかを伝える。

引用元:MBS毎日放送

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