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BS世界のドキュメンタリー「マーガレット・サッチャー追悼 “鉄の女”のメモワール(The Real Iron Lady)」

2013年6月7日に放送された、BS世界のドキュメンタリー「マーガレット・サッチャー追悼 “鉄の女”のメモワール(The Real Iron Lady)」を紹介します。

(所要時間:約49分)

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動画の内容
マーガレット・サッチャー

87歳の生涯を閉じた英国元首相マーガレット・サッチャー。不況にあえぐ英国社会を立て直した功績を讃えられると同時に、強硬すぎる政策への批判も受けたその足跡をたどる。

サッチャーが政治の世界でキャリアをスタートさせたのは1959年。すぐに頭角を現し、1970年に保守党が政権につくと教育科学相として初入閣。その後、ストライキの慢性化と経済の停滞で保守党は政権を追われるが、サッチャーは75年の党首選に出馬。大方の予想を覆して当選した。そして1979年の総選挙で保守党が勝利し、ついに首相の座に就いたその朝、サッチャーが取材陣に語ったのは父親への感謝だった。食料雑貨店を営み、地元の政治家でもあった父。「質素倹約、自己責任、自助努力」を家訓とした彼に多くを学んだと常に語っていた。

就任後は経済の立て直しのために公的支出を劇的に削減し、政治の市場介入を抑制。結果、インフレが進み、企業の倒産で失業者があふれ、わずか2年でサッチャーは史上最悪の嫌われ者の首相となる。しかし報道や世論調査での不人気など意に介さず、信念を曲げることはなかったと当時の閣僚たちは語る。

2期目。サッチャーはさらに急進的な経済改革を断行。1984年、炭鉱労働組合との全面対決を経て大量の鉱山を閉鎖、23万人が職を失う結果となった。この政策はイギリスの基幹産業を壊滅させ、社会に大きな傷を残す過ちだったと、今も厳しく批判を受けている。

それでも、1980年代半ばにはサッチャーの改革は結果を出し始めていた。多くの国有企業が民営化されて近代化が進み、また規制緩和によりロンドンは金融界の表舞台に返り咲く。そして外交でもアメリカのレーガン大統領やソビエトのゴルバチョフ書記長との関係を深め、冷戦の終結に貢献したのだった。

3期目になると、人頭税の提唱と欧州統合への懐疑的な姿勢が国民と財界の強い反発を受け、党内での求心力を失っていく。1990年の党首選で十分な支持を得られなかったサッチャーは、最後は夫デニスに諭されて辞任を決意した。

サッチャー政権の11年間がイギリス社会を大きく変えたことは間違いないが、その評価は今も大きく分かれる。それでも、「“欧州の病人”と言われ崩壊の危機にあったイギリスを、再び強い国に立ち返らせた功績は賞賛に値する」とキャメロン現首相は締めくくる。

原題:The Real Iron Lady
制作:Brook Lapping (イギリス 2013年)

引用元:BS世界のドキュメンタリー

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